司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

加羅の旅 / 新羅の旅 / 百済の旅

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旅のルート旅のルート

【旅の時期】 1971年5月

司馬遼太郎は、古代の朝鮮を体感しようと、韓国の農村を巡る旅に出た。釜山の龍頭山では、李舜臣の像を見て、祖国を救った海将に敬意を表する。釜山の近郊の金海では、金氏の祖廟・首露王陵を訪ね、拝礼する人々を見て、李朝という儒教国家が続いているような思いにとらわれる。慶州郊外の仏国寺では、万葉集に出てくる「歌垣」を想わせる野遊びに出会い、またその近くの掛陵では、これも古代を連想させる老人たちの酒盛りに合流する。大邱近郊の友鹿洞(友鹿里)という村では、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮に投降した武将の実在を実感することができた。百済の旧都・扶余では、古代日本と百済の関係や白村江で散った兵士たちの心情に思いを馳せる。


掛陵


仏国寺


仏国寺

龍頭山公園
江戸時代、日本の唯一の海外公館であった草梁倭館があった。現在は李舜臣の銅像が立つ公園になっている。
釜山市中区東光洞・南浦洞
首露王陵
金官伽耶国の始祖といわれる首露王の墓所。現在も金海金氏一族の崇敬を集めている。
慶尚南道金海市
仏国寺
535年創建。統一新羅時代の特徴を伝える韓国で最も有名な寺の一つ。ユネスコ世界遺産。
慶尚北道慶州市進峴洞
掛陵
原型をよく残しているといわれる新羅の国王(8世紀)の陵。
慶尚北道慶州市外東邑掛陵里
友鹿洞
秀吉の朝鮮侵攻時に朝鮮に帰化した日本の武将、沙也可を先祖とする人々の村。
大邱市達城郡嘉昌面友鹿里
倭館
日本の韓国併合後にできた地名だが、司馬さんは秀吉時代にできた地名と思って寄った。
慶尚北道漆谷郡倭館邑
扶蘇山
百済の王城。司馬さんはその麓にある3人の忠臣の祠、三忠祠を訪れた。
忠清南道扶余郡扶余邑
定林寺址
定林寺は高麗時代の寺名。百済時代から寺があり、百済時代の唯一の史跡が五重石塔である。
忠清南道扶余郡扶余邑東南里

この巻に登場する人物この巻に登場する人物

この巻の目次この巻の目次

  • 【加羅の旅】韓国へ/釜山の倭館/倭城と倭館/釜山にて/李舜臣/駕洛国の故地へ/金海の入江
  • 【新羅の旅】首露王陵/新羅国/慶州仏国寺/歌垣/七人の翁/慕夏堂へ/倭ということ/沙也可の降伏/金忠善/友鹿の村/両班/沙也可の実在
  • 【百済の旅】大邱のマッサージ師/賄賂について/洛東江のほとり/倭の順なること/李夕湖先生/百済仏/まぼろしの都/日本の登場/白村江の海戦/平済塔/近江の鬼室集斯

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司馬遼太郎 街道をゆく | 第2巻 韓のくに紀行

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