フランス・スペイン・ポルトガル3国にわたる司馬遼太郎の旅は、<「南蛮」とはなにかということをこの旅で感じたい>という<ごく単純>な動機で始まった。日本に初めて南蛮文化をもたらした宣教師の一人フランシスコ・ザヴィエルは、スペイン・ナバラ地方出身のバスク人であり、青年時代にパリで学んでいた。司馬さんはまず、パリの学生街カルチェ・ラタンを訪ね、ザヴィエルの<青春の痕跡>を追う。やはりスペイン・バスク出身のロヨラはパリでザヴィエルと出会い、二人はやがてイエズス会を結成する。司馬さんは二人のバスク人キリスト者のなかに対照的な精神性を感じとった。パリを離れた司馬さんは、スペイン国境沿い、ピレネー山麓のバスク地方へと向かう。フランス・バスクの中心バイヨンヌは都市化され、バスク文化を特別に感じることは少なかったが、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の宿場町サン・ジャン・ピエ・ド・ポールとその周辺の農村の風景のなかに、司馬さんは<浮世の国ではない>バスク独特の気配を感じとるのだった。このあと一行はピレネー山脈を越え、スペイン・バスクへと向かい、ポルトガルへと足を延ばす。