司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

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【旅の時期】 1989年2月26日~3月1日

司馬遼太郎は新聞社の宗教担当記者時代以来、約40年ぶりに大徳寺を訪れる。以前と変わらず厳然と俗化を拒む大徳寺のみが、その昔平安貴族の禁野であったというかつての紫野のたたずまいを残していると感じ入る。堺の商人が寄進した真珠庵では、風狂を貫き、市井の人々に愛された一休の生涯に思いをはせる。そして楼上に置かれた像が利休を死に追いやったという大徳寺三門の金毛閣、利休遺愛の灯篭を安置する細川忠興の高桐院、狩野永徳の豪胆な筆致が襖を飾る聚光院、「綺麗さび」の美意識で磨き上げられた小堀遠州の孤篷庵など、かつて大徳寺に参禅し、一級の芸術を花開かせた戦国武将や文人らの世界に驚嘆するのだった。

真珠庵
開祖は一休宗純。応仁の乱の後、一休に帰依した堺の豪商、尾和宗臨らによって再建された。通常は非公開。
京都府京都市北区紫野大徳寺町52
大徳寺三門(金毛閣)
大徳寺に帰依した茶人、千利休が寄進した朱塗りの門。楼上に置いた利休像が秀吉の怒りを買い、利休切腹につながったといわれる。
大仙院
公開塔頭。開祖は古岳宗亘。古岳作と伝わる石組みの枯山水庭園は国史跡、特別名勝。
京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1
高桐院
公開塔頭。織豊期の武将、細川忠興が父幽斎の菩提所として創建。庭園の忠興の墓石は利休遺愛の石灯篭と伝わる。
京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1

司馬遼太郎 街道をゆく | 第34巻 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち

司馬遼太郎 街道をゆく 34

大徳寺散歩、中津・宇佐のみち

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【旅の時期】 1989年5月31日~6月3日

司馬遼太郎は、全国に4万社余りあるという八幡神の故郷、中津と宇佐を訪れた。まず宇佐八幡の前身ともいわれる薦神社(中津)を訪ね、三角池に自生する薦から古代へ思いを馳せる。ついで宇佐神宮や和間神社などに足をのばし、八幡神と渡来人の関係について考える。その後、中津に戻り、福沢諭吉の旧居を訪れ、諭吉の人間性を育んだ家族の影響について考察。さらに中津周辺を巡って、安土桃山時代の武将、黒田如水の中津時代について、また、如水の後に中津の領主を務めた細川忠興の土木工事などについて考えた。


合元寺


中津城

薦神社
9世紀の開基とも、宇佐神宮の元宮ともいわれる古社。御神体は三角池。
大分県中津市大貞209
和間神社
宇佐神宮の仲秋祭で八幡神が渡御し、「放生会」の神事が行われる。
大分県宇佐市松崎
宇佐神宮
全国に4万以上ある八幡社の総本社。広大な社叢の中に社殿が点在する。本殿は国宝。
大分県宇佐市南宇佐
合元寺
戦国武将の黒田如水が創建。豊前の豪族、宇都宮(城井)氏の謀殺にまつわる赤壁の伝説が有名。
大分県中津市寺町973
福沢諭吉旧居
福沢諭吉が19歳まで過ごした家。記念館を併設している。国史跡。
大分県中津市留守居町586
中津城
16世紀末、黒田如水が築城し、明治10年(1877)の西南戦争で焼失した。復元されて、江戸時代に中津藩主だった奥平家の遺品などが展示されている。
大分県中津市二ノ丁

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この巻の目次この巻の目次

  • 【大徳寺散歩】紫野/高橋新吉と大徳寺/念仏と禅/真珠庵/思慕とエロス/『狂雲集』/禅風/金毛閣/松柏の志/大仙院/風飡水宿の譜/肥後椿/陽気な禅/小堀遠州
  • 【中津・宇佐のみち】八幡大菩薩/みすみ池/宇佐八幡/宇佐の杜/宇佐の裏道/如水と中津/花イバラ/中津城/百助のことなど/お順さん/中津の諭吉/山国川

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