HOME / 街道をゆく / 第34巻 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ大徳寺散歩旅のルート【旅の時期】 1989年2月26日~3月1日 司馬遼太郎は新聞社の宗教担当記者時代以来、約40年ぶりに大徳寺を訪れる。以前と変わらず厳然と俗化を拒む大徳寺のみが、その昔平安貴族の禁野であったというかつての紫野のたたずまいを残していると感じ入る。堺の商人が寄進した真珠庵では、風狂を貫き、市井の人々に愛された一休の生涯に思いをはせる。そして楼上に置かれた像が利休を死に追いやったという大徳寺三門の金毛閣、利休遺愛の灯篭を安置する細川忠興の高桐院、狩野永徳の豪胆な筆致が襖を飾る聚光院、「綺麗さび」の美意識で磨き上げられた小堀遠州の孤篷庵など、かつて大徳寺に参禅し、一級の芸術を花開かせた戦国武将や文人らの世界に驚嘆するのだった。 ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります
中津・宇佐のみち※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1989年5月31日~6月3日 司馬遼太郎は、全国に4万社余りあるという八幡神の故郷、中津と宇佐を訪れた。まず宇佐八幡の前身ともいわれる薦神社(中津)を訪ね、三角池に自生する薦から古代へ思いを馳せる。ついで宇佐神宮や和間神社などに足をのばし、八幡神と渡来人の関係について考える。その後、中津に戻り、福沢諭吉の旧居を訪れ、諭吉の人間性を育んだ家族の影響について考察。さらに中津周辺を巡って、安土桃山時代の武将、黒田如水の中津時代について、また、如水の後に中津の領主を務めた細川忠興の土木工事などについて考えた。
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