司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1973年8月21日~31日 少年時代に空想をかき立てられ、青春期にはその言語を学んだモンゴルは、司馬遼太郎にとって夢想の中のあこがれの国であった。そのモンゴルへの初めての旅は、新潟から始まる。新潟空港からソ連(現ロシア)のハバロフスクへと飛び、さらにイルクーツクのモンゴル領事館でビザを受け取り、二度の乗り換えでようやくモンゴルへたどり着く。これが当時のモンゴルへの最短ルートであった。ハバロフスクでの司馬遼太郎は、アムール川の対岸にはるかに広がる中国領を望み、かつて国境をはさみソ連軍と対峙した戦車連隊士官時代の記憶に、歴史と運命の皮肉を思った。イルクーツクでは、江戸時代に日本から漂着した大黒屋光太夫の軌跡をしのぶ。ようやく入国したモンゴルの首都ウランバートルで司馬遼太郎は、ノモンハン事件の悪夢に日本人とモンゴル人の不幸な出会いを嘆く一方、足を延ばした南ゴビでは、満天の星空や一望何億という花の咲きそよぐ草原、さらに純朴な遊牧民たちとの交流に、帰りがたいほどの想いにかられる。こうしたモンゴルの旅を案内したのは通訳の女性ツェベックマさんで、司馬遼太郎はこのひとりの女性のなかに、モンゴル人のたどった長い歴史の苦闘のあとを見いだすのだった。
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