薩摩の士族文化の残像が濃厚に遺されているのではないか――司馬遼太郎はそんな思いから種子島へ旅する。大阪からの直行便で種子島空港に着いた司馬さん一行は、旧友である薩摩の陶工・14代沈寿官氏と合流し、島主種子島家の旧城下・西之表の市長で郷土史家でもある井元正流氏らの案内で島の北部へと向かった。島の北西に浮かぶ馬毛島でかつて鹿狩りを催した西郷隆盛の側近・桐野利秋と田上権蔵ら種子島士族の間に生じた確執に、司馬さんは種子島と薩摩本藩との間にあった相克を考える。種子島西岸を北上した一行は、砂鉄を含む土が独特の風合いを生んだという能野焼の古い窯跡や砂鉄を採った海岸の集落をめぐる。種子島は鉄砲伝来以前から鉄の島であった。その夜、西之表のホテルで沈寿官夫妻や種子島家当主の弟・種子島時哲氏らと宴を囲む。翌日は種子島家歴代の墓に参った後、島北端の喜志鹿崎から黒潮の流れを望み、鉄砲を紀州根来をはじめ全国にひろめたであろう海上の道を思う。3日目、司馬さん一行は鉄砲伝来の地・門倉岬をめざし島の南部を訪ねる。千座の岩屋という奇岩名勝が名高い熊野浦では、その地名に紀州熊野とのつながりを想像するのだった。