「五月雨をあつめて早し最上川」。――芭蕉の名句に誘われた司馬遼太郎は、現実の最上川の情景を確かめるべく、山形へ旅立つ。まず訪れたのは、天台宗の古刹、山寺・立石寺。司馬さんは東北地方への仏教伝播の歴史を思いながら、ここで芭蕉の句を味わいかえす。その後、山形市郊外の紅花農家に立ち寄り、羽州街道を一路南下し、米沢市西南の小野川温泉に泊まる。翌日は米沢出身の旧友である川口忠夫、漢学者の尾崎周道の両氏に案内され、上杉神社や林泉寺など、上杉氏ゆかりの旧跡を訪ねた。米沢から北上する途中、司馬さんは白鷹町荒砥で念願の最上川と対面し、<人格というほかない大きな気魄>に圧倒される。さらに置賜平野(米沢盆地)の風景に、稲作が育んだ日本人の精神に思いをめぐらし、狐越街道沿いの佇まいに、東北の自然の豊かさを感じる。上山温泉で泊まり、翌日山形市内に入った司馬さんは、山形と米沢の城下町としての歴史に対比の妙を覚える。そして須田画伯の画友である遠藤賢太郎、漆芸家の佐藤正巳、草木染の大場キミの3氏と語らう中で、山形という土地の文化の深さを改めて感じるのだった。