HOME / 街道をゆく / 第10巻 羽州街道、佐渡のみち ほか 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ羽州街道※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1976年9月23日~26日 「五月雨をあつめて早し最上川」。――芭蕉の名句に誘われた司馬遼太郎は、現実の最上川の情景を確かめるべく、山形へ旅立つ。まず訪れたのは、天台宗の古刹、山寺・立石寺。司馬さんは東北地方への仏教伝播の歴史を思いながら、ここで芭蕉の句を味わいかえす。その後、山形市郊外の紅花農家に立ち寄り、羽州街道を一路南下し、米沢市西南の小野川温泉に泊まる。翌日は米沢出身の旧友である川口忠夫、漢学者の尾崎周道の両氏に案内され、上杉神社や林泉寺など、上杉氏ゆかりの旧跡を訪ねた。米沢から北上する途中、司馬さんは白鷹町荒砥で念願の最上川と対面し、<人格というほかない大きな気魄>に圧倒される。さらに置賜平野(米沢盆地)の風景に、稲作が育んだ日本人の精神に思いをめぐらし、狐越街道沿いの佇まいに、東北の自然の豊かさを感じる。上山温泉で泊まり、翌日山形市内に入った司馬さんは、山形と米沢の城下町としての歴史に対比の妙を覚える。そして須田画伯の画友である遠藤賢太郎、漆芸家の佐藤正巳、草木染の大場キミの3氏と語らう中で、山形という土地の文化の深さを改めて感じるのだった。
佐渡のみち※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1976年10月 司馬さん一行は、新潟空港経由、プロペラ機で佐渡に入った。両津の佐渡空港で地元の郷土史家の山本修之助氏らの出迎えを受け、熱串彦神社に寄る。恋ケ浦で宿泊、翌日、旧本陣であった山本家で資料を見せてもらった後、南の小木に向かう。蓮華峰寺では、廉直な役人が追いつめられて立てこもった「小比叡騒動」に思いを馳せ、小木港では海に出て、佐渡の玄関口だった近世の景観を想像した。宿を取った真野の恋ケ浦では、当時小説を準備していた司馬凌海の取材をした。翌日は相川に向かい、金山に送り込まれた無宿人たちについて思いを巡らす。道中、金山開発に功績があった大久保長安や、幕末の佐渡奉行・川路聖謨についても考える。
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