司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1977年11月 福岡空港で作家の金達寿氏、考古学者の李進熙氏と落ちあい壱岐へ飛ぶ。印通寺浦の唐人神、遣新羅使の墓を訪れ、原の辻遺跡の報告書を読んで、鉄の流入ルートを考える。岳ノ辻に登り、平戸藩に搾取された壱岐の歴史を振り返る。郷ノ浦で宿泊。国分寺跡に立ち寄り、勝本漁港へ。公民館で須藤資隆氏と出会う。河合曾良の墓、朝鮮通信使の迎接所であった神皇寺跡で秘仏に対面し、唐神遺跡に立ち寄った後、郷ノ浦発のフェリーで対馬の厳原へ。海上2時間。郷土史家・永留久恵氏に出迎えられ、厳原泊。<壱岐人と対馬人は、仲がよくない。>と、2つの島の性格の違いに興味を示す。旅の目的の一つ、かつての同僚A氏の菩提寺・国昌寺に参り、雨森芳洲と申維翰を通して朝鮮通信使を語り、厳原町郷土館で「告身」を見、南北縦貫道で北をめざす。雞知の集落を過ぎ、大船越、万関瀬戸、小船越と浅茅湾を進む。骨卜・亀卜と天つ神の来た道を想像しながら、木坂の海神神社、新羅仏のあるその宝物館、天道山の天神多久頭魂神社を訪れ、千俵蒔山に『対馬まで』(金達寿著)の想いを感じ、韓国の釜山港に近い佐須奈まで北上する。
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