HOME / 街道をゆく / 第21巻 神戸・横浜散歩、芸備の道 ほか 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ芸備の道※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1979年6月4日~7日 安芸と備後とから成る広島県を司馬遼太郎は、広島駅を起点に国道54号を吉田と三次を目指して北上する。上根のあたりで川が日本海に向かって流れていることに気がつき、古代の広島県は瀬戸内海よりも日本海文化圏に入っていたのではないかと考える。2泊した吉田では戦国大名毛利元就ゆかりの郡山城趾や猿掛城跡を訪れる。地元で今なお慕われ続ける元就は「領民撫育」と「一郷団結」の方針をもつ人物で、そのことがのちに幕末、長州藩が身分を超えて団結する気風につながったと指摘する。吉田郊外の浄土真宗高林坊も訪れる。三次では町の名の由来を考える。岩脇古墳の丘の上から幾筋もの川が渦巻く三次盆地を見下ろしながら、思いははるか古代へとさかのぼる。三次に点在する古墳群は古代朝鮮から渡来し、出雲に定着したタタラ衆の墓ではないか――と想像する。三次で1泊し、最終日には鳳源寺を訪ねて古い城下町の雰囲気を愛でる。
神戸散歩旅のルート【旅の時期】 1982年7月29日~31日 神戸港に浮かぶ人工島のホテルに宿泊した司馬さんは、布引の滝や外国人墓地を歩き、「神戸」という街の原形について思索を深める。さらに、陳徳仁氏の紹介で神戸に住むロシア人のモロゾフ氏やウラジオストクの英国商人の子息・金井厚氏に出会う。韓晳曦氏が設立した朝鮮史の専門図書館「青丘文庫」では、私費で運営されてきた文庫が生み出した学問的な功績を思う。
※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります
横浜散歩旅のルート【旅の時期】 1982年9月12日~14日 司馬遼太郎は、幕末に横浜区域とされていた「関内」を旅の範囲と定める。吉田橋や馬車道では、福沢諭吉や英国の女性旅行家イサベラ・バードら開港早々の横浜にやってきた人々のことを考える。「灯台局発祥の地」碑や旧幕府の語学所跡では、英国人土木技師R・H・ブラントンや、宣教師でフランス語教師のメルメ・カションら居留地で活躍した外国人のことを思う。浜辺の倉庫群では、大正3年(1914)に新港ふ頭が完成するまでの紆余曲折に触れる。そして、三島由紀夫や長谷川伸らの多くの文学作品を生み出した横浜の都市の気分に思いをはせる。横浜市港湾局では港務部長の中新井昂さんに「ポート・セールス」の話を聞き、山下公園に繋留されている氷川丸を訪ねて旅を締めくくる。 ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります
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