HOME / 街道をゆく / 第26巻 嵯峨散歩、仙台・石巻 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ嵯峨散歩※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1984年12月5日~6日 嵯峨野の旅は、古くは、「絶壑ノ間ニ孤立ス」と表現された山峡の水尾から始まった。司馬遼太郎は、はるか昔この地に辿り着いた清和天皇に触れ、天皇を祀るお社を護持し続ける里人の心遣いに注目する。嵐山の渡月橋では、古代、山城国(京都)に定住し、土木技術によって田野を切り開いたといわれる渡来系氏族の秦氏について考える。見まわせば、渡月橋下の中洲も松尾大社も、現代に残る秦氏の足跡なのだった。天竜寺塔頭の妙智院で嵯峨名物の湯豆腐を食べながら、司馬さんの思いは遠く豆腐の起源にまで遡る。旅は「芸能」や「売り掛け」の神として信仰を集める車折神社で締めくくられる。かつてこの社を「ヨリナリサン」と呼んでいた女性の懐かしい思い出を振り返りながら。
仙台・石巻※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1985年2月25日~28日 大阪空港から仙台へと飛んだ司馬遼太郎は、機上から見る富士の光景に<奥州人がいつ富士をみたか>と、歴史上いく度か興った東北の勢力の西上を思い返す。仙台南方の阿武隈川河口を訪ね、伊達政宗の造った運河「貞山堀」を目にした司馬さんは、400年の時を経て静かに保存されている運河の佇まいに仙台藩の風儀の奥深さを感じた。さらに桃山文化の風を残す岩沼の竹駒神社、仙台の大崎八幡宮へ詣り、ここにも大藩の骨太な文化を見いだす。芭蕉の『奥の細道』に沿うように、北東に歩を進め、「遠の朝廷」多賀城跡では、政庁跡や多賀城碑に、古代から続く詩へのあこがれを思う。松島湾に臨む港町塩竈では、陸奥一宮であった鹽竈神社を訪ね、奥州の古風を感じる。松島では観光化されすぎて芭蕉への厳粛な敬意を失ったかに見える風を嘆く。終着点の石巻で日和山山上から、政宗が改修させた北上川を眺めた司馬さんは、あらためて政宗に「すっきりした男」という印象を抱き、また北上川の中洲にあるロシア正教の教会堂に「東北のハイカラさ」を感じとるのであった。
この巻に登場する人物この巻の目次
|