嵯峨野の旅は、古くは、「絶壑ノ間ニ孤立ス」と表現された山峡の水尾から始まった。司馬遼太郎は、はるか昔この地に辿り着いた清和天皇に触れ、天皇を祀るお社を護持し続ける里人の心遣いに注目する。嵐山の渡月橋では、古代、山城国(京都)に定住し、土木技術によって田野を切り開いたといわれる渡来系氏族の秦氏について考える。見まわせば、渡月橋下の中洲も松尾大社も、現代に残る秦氏の足跡なのだった。天竜寺塔頭の妙智院で嵯峨名物の湯豆腐を食べながら、司馬さんの思いは遠く豆腐の起源にまで遡る。旅は「芸能」や「売り掛け」の神として信仰を集める車折神社で締めくくられる。かつてこの社を「ヨリナリサン」と呼んでいた女性の懐かしい思い出を振り返りながら。