HOME / 街道をゆく / 第27巻 因幡・伯耆のみち、檮原街道 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ因幡・伯耆のみち※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1985年5月26日~30日 司馬さんは、かかりつけの開業医・安住先生の故郷、鳥取県智頭町の早野を訪ねてみたいと思う。早野は千代川の源流域で、千代川は鳥取平野を潤し、因幡国はこの川なくしては成り立たなかったのではないか、と思う。まず早野に行き、川沿いの国道を鳥取市まで下る。夜、町に出た司馬さんは、町のほどよい暗さに安らぎを覚える。そこから柳宗悦の民藝運動のこと、それが吉田璋也によって鳥取でも展開されたことを考える。翌日、因幡国庁跡へ行き、国守として赴任してきた万葉歌人・大伴家持に思いをはせる。そして少年のころの「砂漠へのあこがれ」を思い出しながら鳥取砂丘を訪ねる。翌朝、鳥取を発って「因幡の白兎」の神話で知られる白兎海岸に向かう。神話に登場する白兎、ワニ、大国主命について考察し、白兎神社を創建した亀井玆矩を思う。玆矩が城主となった鹿野町を散策したあと、倉吉に。その途中、三徳山皆成院で食べた木綿豆腐のおいしさに驚き、倉吉絣の伝統を守る福井貞子さんの著書『木綿口伝』の魅力を語る。米子に泊まって市内から大山を遠望し、大山寺では、後醍醐天皇の倒幕挙兵に参じた名和長年のことを考える。最終日、大山を海から眺めるため、島根半島最先端の西洋人設計による美保関灯台まで足を延ばす。帰途、美保神社で、江戸期の北前船で富を得た船頭たちが寄進した石灯籠に往時の賑わいを感じ、旅を終える。
檮原街道(脱藩のみち)※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1985年10月 司馬遼太郎は、坂本龍馬ら幕末の志士たちが土佐から伊予へと脱藩した道筋を辿る旅に出る。最初の晩、高知市内で檮原出身の女主人がいるスナックを訪れ、土佐の脱藩者たちが身分の自由を求めたことを考える。翌日、向かった佐川町では、青山文庫を訪れ、その収集をした田中光顕を思いながら、酒造業の古い街並みを歩く。東津野村(現・津野町)に入ると、室町時代、義堂周信と絶海中津という五山文学の雄が輩出した高い文化をもつ地であったことを思いつつ、茶畑や高野の茶堂に立ち寄る。檮原町では町長らの出迎えを受け、神在居の「千枚田」や六志士の墓に参る。かつて檮原への道は別の山を通っていたと教えられ、坂本龍馬を思う。夜は三嶋神社の拝殿で津野山神楽を見学する。翌日は宮野々の番所や、海津見神社を訪れたあと、県境の姫鶴平で高知の人々と別れて、松山へと向かう。
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