司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

耽羅紀行

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【旅の時期】 1985年10月~11月、12月

司馬遼太郎は友人の玄文叔、文順礼夫妻との出会いに導かれるように、彼らの故郷、済州島へと旅立つ。旅には朝鮮思想史研究家の姜在彦氏も同行した。済州市では聖地、三姓穴を訪問し、姜氏の儒礼式墓参にも立ち会う。島を西回りに南下した一行は、元の支配に最後まで抵抗した三別抄軍の終焉の地や翰林公園に立ち寄る。島南部の西帰浦市では康昌鶴氏ら地元の父老と呼ばれる人たちに出会う。漢拏山麓を車で横断した司馬さんは、13世紀、草原を求めて南下してきたモンゴル人と蒙古馬のことを考える。古い港の朝天では、「士禍」の絶えなかった李朝時代に島に流されてきた官僚らを思う。帰国して1カ月後、司馬さんは再び済州島を訪れ、念願のシャーマンや海女らと会って旅を締めくくる。


済州島


済州島


済州島

済州郷校
李氏朝鮮王朝太祖元年(1392)に創建された済州儒学の本家。現在も子どもたちに漢詩や道徳教育を行っている。
済州道済州市竜潭1洞
観徳亭
李氏朝鮮王朝世宗30年(1448)に、青少年の練武場として建てられた。島に残る最古の木造建築。
済州道済州市3徒2洞
三姓穴
高、良、夫の三神が誕生したと伝わる建国神話の地。春と秋の年2回、三姓祠祭が行われる。
済州道済州市2徒1洞
抗蒙遺跡址(抗坡頭里)
蒙古軍の高麗遠征に最後まで抵抗した三別抄軍の終焉の地。石垣と土塁に二重に囲まれた朝鮮式山城。
済州道済州市涯月邑古城里
翰林公園
挟才窟、双竜窟の2つの溶岩洞がある公園。亜熱帯植物園や盆栽園などもある。
済州道済州市翰林邑挟才里2487
中文観光団地
済州島を代表する高級リゾート地として知られる。
漢拏山国立公園
30万~10万年前に噴出した溶岩によって作られた火山、漢拏山は標高1950メートルの韓国最高峰。
榧子林(ピジャリム)
樹齢300~600年のカヤ約2600株が群生する原生林。
済州道済州市旧左邑坪垈里
恋北亭
李朝時代の官港・朝天港を見おろす場所に立つ。本土の政争に敗れ流されてきた官僚がここから本土を恋うたという。
済州道済州市朝天邑新興里

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この巻の目次この巻の目次

  • 【耽羅紀行】常世の国/焼跡の友情/俳句「颱風来」/三姓穴/塋域の記/石と民家/〝国民〟の誕生/郷校散策/士大夫の変化/北から南への旅/父老とカプチャン/神仙島/モンゴル帝国の馬/森から草原へ/お札の顔/朝天里の諸霊/不滅の風韻/思想の惨禍/車のはなし/故郷/虎なき里/憑きもの話/近くて遠い/シャーマン/泉靖一氏のこと/赤身露体/『延喜式』のふしぎ

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司馬遼太郎 街道をゆく | 第28巻 耽羅紀行

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