司馬遼太郎は新聞社の宗教担当記者時代以来、約40年ぶりに大徳寺を訪れる。以前と変わらず厳然と俗化を拒む大徳寺のみが、その昔平安貴族の禁野であったというかつての紫野のたたずまいを残していると感じ入る。堺の商人が寄進した真珠庵では、風狂を貫き、市井の人々に愛された一休の生涯に思いをはせる。そして楼上に置かれた像が利休を死に追いやったという大徳寺三門の金毛閣、利休遺愛の灯篭を安置する細川忠興の高桐院、狩野永徳の豪胆な筆致が襖を飾る聚光院、「綺麗さび」の美意識で磨き上げられた小堀遠州の孤篷庵など、かつて大徳寺に参禅し、一級の芸術を花開かせた戦国武将や文人らの世界に驚嘆するのだった。