司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります アムステルダム ライデン旅のルート【旅の時期】 1989年9月23日~10月10日 <二十世紀の半ばまでオランダ人は、海でしごとをしてきた。><海ときりはなしてオランダ史もオランダ人も成立しなかった。>と書く司馬さんは、空路、アムステルダム入りした後、オランダの町を歩きながら、その国土や貿易の歴史について考える。ライデンではシーボルトが日本から持ち帰ったトチの木を眺めながら、<決死の大航海>で日本にたどり着いた1隻のオランダ帆船から始まった日蘭交流のことを思う。港町ホールンでは、オランダが貿易立国となるきっかけになったニシン漁について考える。そして、<「ネザーランダー(低い土地のひとびと)」>と呼ばれながら、低地を干拓することによって国土を造ってきたオランダの国民性に思いをはせ、アイセル湖と北海を仕切る大堤防へと足をのばす。
マーストリヒト アントワープ旅のルート【旅の時期】 1989年9月23日~10月10日 オランダ北部で海を見てきた司馬さん一行は、<国境あそび>への旅に出る。アムステルダムを出発し、南下してベルギー、西ドイツ(当時)の国境地帯を目指す。山を越え、西ドイツに入った司馬さんは、数世紀にわたる戦争を経て、国境に重々しさがなくなったヨーロッパの歴史に思いをはせる。ベルギーでは、作家ジョルジュ・シムノンが生まれた町・リエージュや、港町のアントワープへ足をのばす。アントワープではユダヤ人街やノートルダム(聖母)大聖堂を訪れ、日本で人気を博した『フランダースの犬』がヨーロッパで忘れ去られた理由を考える。アントワープで数日宿泊し、プッテという町からオランダに再入国する。
ニューネン ナールデン旅のルート【旅の時期】 1989年9月23日~10月10日 国境の町プッテを発した一行は、オランダのゼーラント州に入る。<ゼーラントは、日本史とむすびついている>と、咸臨丸についてふれる。州都ミデルブルグでタラを食べ、咸臨丸に大砲を搭載するなど軍艦の準備がされたかつての軍港ヘルフットスライス(「地獄への第一歩の水門」の意味)港へゆく。ロッテルダムの街の灯りを目にしながら、アムステルダムに戻り、運河遊覧船に乗って、街を散策する。間口の狭さ、破風のかたちの面白さにふれている。その後、星形をした城塞都市ナールデンを訪れて、スペインからの独立戦争や、その後のオランダの没落など、中世~近代の歴史に思いをはせる。そして、深い思い入れとともに、ゴッホへの旅をはじめる。ゴッホが2年間を過ごしたニューネンをたずね、描くことへのゴッホの情熱や精神の在り方などについて熟考する。
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