司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

オホーツク街道

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【旅の時期】 1991年9月、92年1月

【秋の旅】札幌の北海道開拓記念館で講演を聴き、同館学芸員の野村崇氏の同行で網走へ。網走観光ホテルに宿泊して、道立北方民族博物館、能取湖、サンゴ草のひろがる卯原内、サロマ湖、モヨロ貝塚、網走市郷土博物館などを訪れる。ウイルタの資料館「ジャッカ・ドフニ」で北川アイさんに、登呂遺跡で東大考古学研究室の宇田川洋氏に会う。

【冬の旅】札幌から特急列車で約6時間の稚内へ。サロベツ原野を目にしつつ南稚内に到着。飲み屋街を訪れ、水蛸のしゃぶしゃぶを堪能。抜海岬、野寒布岬、声問岬と岬めぐりをし、オンコロマナイ遺跡を訪れ、宗谷丘陵を通って最北端の宗谷岬へ。間宮林蔵の碑、海軍望楼跡を見て、北方40キロの樺太と韃靼大陸に思いを馳せる。猿払村、浜頓別、枝幸町とオホーツク海沿岸を南下。目梨泊遺跡の発掘調査作業所、雄武町の興部警察署幌内警察官駐在所を訪ね、紋別市のオムサロ遺跡公園、オホーツク流氷科学センターをめぐってから網走市へ。小清水を経て斜里町で津軽藩史の慰霊碑をまわり、旅の最終地である知床半島へ。


常呂遺跡


流氷

北海道開拓記念館
北海道の歴史を先史時代から近代まで時代を追って展示。
北海道札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
網走
北海道のオホーツク沿岸では大きな都市。冬は流氷観光砕氷船「おーろら」が就航。
北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」
北川源太郎(D・ゲンダーヌ)さん、北川アイ子さんらが作製した、ウイルタほかの生活文化を伝える作品を展示。
北海道網走市大曲2-96
道立北方民族博物館
アイヌやウイルタ、イヌイットなど、北方諸民族の生活文化を展示。
北海道網走市天都山
ところ遺跡の森
縄文、続縄文、オホーツク、擦文時代の竪穴住居などがある大規模な遺跡。以下の施設がある。「ところ遺跡の館(北海道常呂町栄浦371)」「東京大学文学部登呂資料陳列館(北海道常呂町384)」
モヨロ貝塚
米村喜男衛が発見したオホーツク人の遺跡
モヨロ貝塚館
モヨロ貝塚の出土状況の展示館。
北海道網走市北二条東2丁目
網走市郷土博物館
国の史跡であるモヨロ貝塚の出土品を収蔵。
北海道網走桂町1-1-3
サンゴ草の群生地
能取湖南岸の卯原内に、9月にサンゴ草が赤い絨毯のように群生する。9月第2日曜日はサンゴ草祭りも開催。
北海道網走卯原内
野寒布岬
夕陽の名所。近くにノシャップ寒流水族館がある。
声問岬
宗谷岬と野寒布岬の間にあり、声問川がそそぐ穏やかな湾に突き出す。
オンコロマナイ遺跡
考古学者の泉靖一が発見したオホーツク遺跡。
宗谷岬
日本最北端の岬。間宮林蔵の像が北方40キロの樺太を見つめている。近くの丘に海軍望楼跡がある。
猿払村の浜鬼志別
昭和14年(1939)沖合のトド岩という岩礁でソ連船インディギルカ号の遭難事件があった。
浜頓別
クッチャロ湖に飛来するハクチョウで有名。
枝幸
かつてゴールドラッシュに沸いた街。神威岬や目梨泊遺跡などがある。
オサムロ遺跡公園
紋別市西郊外にある古代住宅の遺跡
紋別
網走と同じくオホーツク沿岸では大きな都市。流氷砕氷船「ガリンコ号」が就航。
小清水原生花園
オホーツク海と濤沸湖に挟まれた広大な花園。
斜里
知床博物館、津軽藩士の慰霊費などがある。
知床半島
北海道の美しく雄大な自然が残る。

この巻に登場する人物この巻に登場する人物

この巻の目次この巻の目次

  • 【オホーツク街道】縄文の世/モヨロの浦/札幌の三日/北天の古民族/韃靼の宴/遥かなる人々/アイヌ語学の先人たち/マンモスハンター/研究者たち/木霊のなかで/樺太からきた人々/宝としての辺境/花発けば/ウィルタの思想/コマイ/アイヌ語という川/遠い先祖たち/チャシ/貝同士の会話/雪のなかで/声問橋/宗谷/泉靖一/林蔵と伝十郎/大岬/大海難/黄金の川/佐藤隆広係長/紋別まで/森の中の村/小清水で/町中のアザラシ/斜里町/斜里の丘/流氷/旅の終わり

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司馬遼太郎 街道をゆく | 第38巻 オホーツク街道

司馬遼太郎 街道をゆく 38

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