司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

濃尾参州記

旅のルート旅のルート

【旅の時期】 1995年10月、1996年1月

名古屋城を旅の出発点とした司馬遼太郎は、若き日の織田信長が奇跡の勝利を収めた桶狭間への急襲を思う。信長の動きを詳細に思い描きながら、熱田神宮を経て、信長が今川義元軍を急襲するために駆けた道をゆく。また緑区では、名古屋市立緑高校から桶狭間(田楽ケ窪)を見おろす。桶狭間にある藤田保健衛生大学を訪ねた司馬さんは、室町時代に再建された寺院であり眼科病院であった馬島明眼院の眼科医の末裔である馬嶋慶直教授を訪ねた。その後、桶狭間古戦場近くの高徳院へゆく。
次に三河を訪ね、徳川家の祖が拠点とした松平郷を目指す。30年近く前に訪れたときの清らかな印象を胸に松平氏の菩提寺・高月院を訪れたが、あまりの変貌ぶりに失望する。岡崎市内では、矢作川にかかる矢作橋にまつわる豊臣秀吉と蜂須賀小六の伝承、岡崎を拠点とした徳川家康に思いをはせる。特に、桶狭間の戦いでの家康の勇気と臆病さについて考え、徳川家の菩提寺・大樹寺にも立ち寄った。


岡崎城


宮の渡し

名古屋城
慶長17年(1612)、徳川家康の命によって築城された尾張徳川家の居城。大天守閣は戦災で焼失。昭和34年(1959)に再建された。
愛知県名古屋市中区本丸1-1
熱田神宮
三種の神器のひとつ「草薙剣」を奉祀する、伊勢神宮に次ぐ社格の神社。織田信長が桶狭間の戦いの戦勝祈願に立ち寄り、戦勝の記念に「信長塀」と呼ばれる築地塀を寄進したことでも知られる。
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
名古屋市立緑高校
桶狭間(田楽ケ窪)を見下ろす緑区の高台に立つ高校。
愛知県名古屋市緑区旭出1-1104
藤田保健衛生大学
故・藤田啓介氏創立の大学。付属病院には、馬島流眼科を継承する馬嶋慶直氏も勤務していた。
愛知県豊明市沓掛町田楽ケ窪1-98
高徳院
桶狭間古戦場に立つ真言宗の寺院。弘法大師空海によって高野山上に創建され、後にこの地に移築された。
愛知県豊明市栄町南舘3-2
岡崎
松平氏が拠点とした地で、大永4年(1524)、7代清康が岡崎城主となり城下町整備を行ったため、いまも古い町並みが残る。9代家康も岡崎城で誕生した。
愛知県岡崎市
松平郷
徳川家康を生んだ松平家発祥の地である三河の山里。松平家の菩提寺である高月院、松平家の屋敷跡である松平東照宮などがある。
愛知県豊田市松平町
高月院
松平郷にある徳川家の祖・松平家の菩提寺。境内に松平氏初代親氏(徳阿弥)ほかの墓がある。江戸期は歴代将軍が手厚く保護した。
愛知県豊田市松平町寒ケ入
大樹寺
岡崎市内にある徳川家の菩提寺。桶狭間の戦いで今川勢に従軍していた家康が敗れて逃げ帰ったのがこの寺で、先祖の墓前で自害しようとするところを住職に止められたという。
愛知県岡崎市鴨田町広元5-1

この巻に登場する人物この巻に登場する人物

この巻の目次この巻の目次

  • 【濃尾参州記】東方からの馬蹄/田楽ケ窪/襲撃/後水尾・春庭・綾子/高月院/蜂須賀小六/家康の本質
  • 【「濃尾参州記」余話】司馬千夜一夜:安野光雅/名古屋取材ノートから:村井重俊
  • 【「濃尾参州記」の風景】Ⅰ 画・安野光雅/Ⅱ 写真・長谷忠彦

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司馬遼太郎 街道をゆく | 第43巻 濃尾参州記

司馬遼太郎 街道をゆく 43

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