名古屋城を旅の出発点とした司馬遼太郎は、若き日の織田信長が奇跡の勝利を収めた桶狭間への急襲を思う。信長の動きを詳細に思い描きながら、熱田神宮を経て、信長が今川義元軍を急襲するために駆けた道をゆく。また緑区では、名古屋市立緑高校から桶狭間(田楽ケ窪)を見おろす。桶狭間にある藤田保健衛生大学を訪ねた司馬さんは、室町時代に再建された寺院であり眼科病院であった馬島明眼院の眼科医の末裔である馬嶋慶直教授を訪ねた。その後、桶狭間古戦場近くの高徳院へゆく。
次に三河を訪ね、徳川家の祖が拠点とした松平郷を目指す。30年近く前に訪れたときの清らかな印象を胸に松平氏の菩提寺・高月院を訪れたが、あまりの変貌ぶりに失望する。岡崎市内では、矢作川にかかる矢作橋にまつわる豊臣秀吉と蜂須賀小六の伝承、岡崎を拠点とした徳川家康に思いをはせる。特に、桶狭間の戦いでの家康の勇気と臆病さについて考え、徳川家の菩提寺・大樹寺にも立ち寄った。