プレイ・ダイアリー PLAY DIARY

大前粟生

イラスト:勝木有香

「女の子は笑顔で
いた方がいいよ」

グロテスクだと思う。
そう思ったのは、私。

読むこと/演じること。そこには加虐も被虐も潜んでいる――。

作家生活10周年、新たな文体を手に入れた著者による圧巻の日記文学!

「演じる」を記した、
祈りの日記。

痛みという方法しか取ることができなかった菜月ちゃん。

あなたを演じたこの身体は、菜月ちゃんを連れて、生きていこう。

各界から絶賛!
大前粟生の
新たな到達点

役にのめり込むほど、自分との境界がゆらいで見えなくなっていった

松井玲奈

(俳優・作家)

日記のそばに立っていたら、小説に殴られた。すごい。

内沼晋太郎

(「日記屋月日」代表取締役)

読み終えて拍手した。痛くて悔しかった全ての人に贈りたい。

坂口涼太郎

(俳優)

世界へ向けられたぎりぎりまで注意深いまなざし。小説であると同時に、日記そのものだ。

古賀及子

(エッセイスト)

書籍情報

プレイ・ダイアリー 書影

プレイ・ダイアリー

大前粟生

2026年2月6日発売

「女の子は笑顔でいた方がいいよ」グロテスクだと思う。そう思ったのは、私。演じる私、テキストを読む私はいつだって暴力的で、つねに暴力にさらされている。人間関係に潜む力の不均衡に焦点を当ててきた著者の新たな到達点!「小さくて大切な場所を守るための日記」も収録。

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著者プロフィール

大前粟生(おおまえ・あお)

1992年生まれ、兵庫県出身。2016年「彼女をバスタブにいれて燃やす」がGRANTA JAPAN with早稲田文学公募プロジェクト最優秀作に選出され小説家デビュー。著書に、『私と鰐と妹の部屋』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』『物語じゃないただの傷』『7人の7年の恋とガチャ』『マリッジ・アンド・ゴースト・ストーリー』など多数。

各紙誌で話題

演劇関係者からの
熱い感想、続々!

自分自身、そして自分を取り巻く現実を材料にして、自分ではない誰かを作り上げ、いつしかその誰かを内面化すらしてしまう。下手をすれば役に「食われ」、元いた自分自身を見失ってしまうかもしれない。そんな、傍から見れば異常ですらあるかもしれない、演技するという不思議な営みに、丁寧すぎるほど丁寧に向き合う主人公の危うさとひたむきさが静かに心に迫ってきました。
日記という形式、そして現実とリンクした展示や作品の描写によって、私たちは同じ2025年を生きる一人の役者としての彼女の日常を垣間見ます。そこから伝わってくる不安、悩み、そして舞台の上で他者として何度も生きることの喜びが、とても繊細でリアルで、「それでも私は演劇が、演技がしたい」と思う気持ちに仲間ができたような気がしました。

N.N

何度も打ち倒されながらやっと読み終わりました。もう一度じっくり読んできます。

河童土器屋(19歳)

役に対する向き合い方を通して、人との向き合い方も考えさせられる、とても面白い作品でした。日記という形だからこそ、役作りの過程がとてもリアルで、引き込まれました。特に、公演が近くなって役にもっと深く入っていくところは少し、恐怖すら覚えました。主人公や役の過去や日常が、日記らしい、少し淡々としていながらも機械的ではない文章で語られていて、人の経験の追体験をしている気分になりました。ただ共感したり、自分ごとのように感じられるのではなく、自分ではない誰かの1人として彼女らの日常を経験することができ楽しかったです。公演当日、特に最終日の文章はどこか勢いが強くなったような気がして、思わず読むスピードが上がりました。最終的に、役とどう向き合うか、主人公なりの答えが出てよかったと思いました。演劇をやっている者として、自分ももっとそのことについて考えなければとも思いました。役者が主人公で、主人公の日記を読むという設定は初めてでしたが、この作品にぴったりだと思いました。改めて、本当に面白かったです。

しゅう(20歳)

周囲の人によって「菜月ちゃん」が誕生し、それなのに「菜月ちゃん」は世間から受け入れてもらえなくなって、「私」であると「菜月ちゃん」が良いと言われ、そして「私」が「菜月ちゃん」を再構築する。CMやエキストラの出演経験があるが、人の理想像というものは、そういうときに特に顕著にあらわれると感じていた。「旅行に来て楽しい感じでお願いします」「恋人と仲良く話す感じで」。ここでいう「楽しい感じ」は、もちろん私が普段本当にそう感じているときの「楽しい」ではなくて、世間の理想像としての「楽しい」。ステレオタイプ。自分のことを、内面のことを(劇的でなく)描く演劇は最近増えてきたと思う。でも、札幌ではまだ少ない。目の前で起こっていることを感じていれば、舞台上でも「その場にいること」になるのだろうか。自分のことを演じていてさえも、反復しているといつしかその感情はプログラムと化してしまう。「自分」とは「他人が思う自分」であって、「私が思う自分」ではない。他人の目を介してでしか、自分という存在は世間にいられない。だとしたら、舞台の上と生活との違いはなんだろうか。演劇をやっていて常々考えることではあるが、その認識がぶり返して、さらに深く潜っていくような感じがした。

わわわ(22歳)

正直読んでいて苦しかったです。それは役として生きようとする感覚がよく分かるから(役作りがしっかりできるほどの役者経験は無いので、その感覚を理解しようとしたいから、という方が正確ですが)です。それほど登場人物が感じている役者としての、そして一人の人間としての葛藤や苦しさが伝わってきました。思ったことを素直に記録する、日記という体裁だからこそのものだとも思い、とても面白かったです。

ぴんく(20歳)

ひたすら菜月ちゃんのことを考え続ける「私」に対して、読んでいて狂気さえ感じる。でも、だからこそ感じられた、演じることへの愛を私も大切にしたいと思った。
役作りには、役と重なることへの恐怖がある。それでも菜月ちゃんのことを考え続ける「私」を見て、向き合ってきたからこそあの結果になるのだろうと納得した。

Yamori(20歳)

書店員さんのコメント

紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子さん

「女の子は笑顔でいた方がいいよ」という、社会的魔術をかけられた菜月ちゃん。「女子はこうあるべき」と言う、目に見えない鎖に縛られていく。その影響により、喜怒哀楽の感情と身体が乖離していく様子に、ゾッとしてしまいました。まるで、自分が消失していき、他者のアイデンティティでコーティングされていくようです。

そして、菜月ちゃんを観察し考察する「私」という存在。なぜ、「私」は菜月ちゃんを追い続けているのか。そんな疑問が沸き起こる中で、クライマックスで突きつけられたある事実に茫然自失。最初に感じていた違和感のベールが、衝撃的に引き落とされていきました。

生きていくという事は、気づかず自分とは違う誰かを演じているのかもしれないと感じる、人間の多面性を問われる物語。また、インディビジュアリティの、憑依と離脱が表裏一体化した人間心理に魅せられる人生小説。ラストでの、自身と相手の境界線がおぼろげになっていく様子に、凄まじく引き込まれました。

たとえ過去を忘れても、身体に記憶が刻まれるような余韻がずっと残っています。一度読んだら忘れられない、言葉を失う凄い作品。

BOOKSえみたす富士吉原店 望月美保子さん

演じる事で寄り添い、理解し難い不条理を真に考える。そんな日々が淡々と描かれてはいるけれども1ミリも共感は出来なかった。“私“は彼女の悲しみと苦しみを受け入れる事でこれからの人生の糧にした。彼女のために,そして自身のために役者が得たものは大きかった。そう思いたい。

ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理さん

女の子は笑顔がいいという呪いをずっと背負わされてきた菜月を演じる、男にぶつかっていく女になる境地を理解するのは、自分か菜月のそれにいたるものをわかり、作り上げていかなければ、劇の中の菜月になれないという考えは、やりがいがあるが、精神、身体にものすごく影響を与える。その境地を理解し、一方で自分自身ではその心境をわかっていない役柄は非情にむずかしく、菜月になるのと菜月を冷静な目で見つめる、どちらもしなければならなかった。菜月になるのは、彼女にとって、人生、役者になるのに大きなステップだったように思える。自分は生きていく、演じるために生きていく、そう思える菜月との出会いは、彼女を大きく変えた。演じるということは、ぼろぼろになるかもしれないが、素晴らしいと思った。

精文館書店中島新町店 久田かおりさん

繊細過ぎて自分という存在が、自分がこの世にいることが、もしかすると誰かを傷つけているかもしれない、といいう恐れを抱き続ける大前粟生が、他人を(物理的に)傷つけ続ける「ぶつかり女」を描くとは。

関係のない人にぶつかりながら歩いて行くという行為、その理由と意味を「演じること」で深化させていく。

けれどその演じられる人物は舞台の中だけで存在するわけではない、彼の、彼女の人生は舞台の外でも、それ以外の時間でも続いている。だから演じるためにはその人物そのものになる必要がある。

役を演じるというのはその役になりきるというだけではない、その人物の、舞台以外の人生も背負うということ。タイトルにある「プレイ」というのは演じるという意味だけではなく、演じられる人の人生にそっと寄り添いその人のために祈るという意味もあるのだ、と気付いて震えている。

ブックマルシェ我孫子店 渡邉森夫さん

「女の子は笑顔でいた方がいいよ」

処世術としては魔法となるかもしれない。でも「何を考えているかわからない」と言われる場面では標的となってしまう。まさに毒にも薬にもなる劇薬だろう。

この劇薬に侵された女性を演じる女性もまた亜種となるくらい翻弄されていく。俳優という仕事は役と一緒に厄も付くと云われる。その翻弄されるありのままを受取ることができるだろうか。私もまた亜種となっているような気がしてくる。

田村書店吹田さんくす店 村上望美さん

ぶつかり男にまくしたてた、あのシーンがすごく印象に残ってぐるぐるといつまでも頭をめぐっています。他人を演じるときに深く深く内面に迫ろうとするストイックさと、それと同時に「女である」とはどういうことかを同時に考えさせられる作品でした。

未来屋書店武蔵狭山店 柴田路子さん

日記とは素の自分が思いを書く

菜月ちゃんが書いているでは、わからなくなった。

役に取り取り込まれる

あまりにも深いところまで入り込み本当の自分を取り戻せるのか不安になる

なんとなく気が気でない気持ちで読み進める

場面の描写が上手くすっかり入り込んでしまった。

ブックスエコーロケーション 月元健伍さん

演技を通して他者の傷みを自分ごととして受け止めることを、ここまで真摯に描くことができるのだと感嘆しました。自分が他者に無自覚に発揮してしまっている、人間関係の不均衡さを突きつけられて、背筋が伸びるようにも思いました。大前粟生さんの祈りが、本書を通じて多くの人に届けばいいのになとも思いました。読めてよかったです。

宮脇書店ゆめモール下関店 吉井めぐみさん

役に入って行く工程を日記形式で垣間見る。役を深掘りするというのはこういうことか…と驚きがありつつ怖さもあった。どんどん引き込まれていき自分もどうにかなっちゃうのか、と思ったら演劇の上でのこととわかりホッとする。それがまたギリギリを攻めていて目が離せない。

ジュンク堂書店郡山店 郡司さん

まだ多くの人が抱く女性はこうあるべきという幻想。

この物語を読んで理解できないという人もいるかもしれない。

それでもこの作品は声を上げ続ける。

紀伊國屋書店仙台店 齊藤一弥さん

我々、読書をする人間も本を読むことで登場人物の心情に寄り添ったり、自身に投影、比較したりと“そこに居る人間”のことを考える。

しかし、役者のそれは当然ながらレベルが違う。

徹底的に掘り起こす。台詞やト書きから感じ取ることはもちろんだが、演じるそのシーン、台本以前の人生も深く考え抜くことでその役柄を理解する。

それ故に役と自分との境界線を見失うこともあると聞く。この主人公は演劇と通して、日常に居る普通ではない人物と向き合うことになる。その役を知ろうとすると、その周辺やきっかけまでを追い掛けることになり、物事の連鎖を感じることになる。この連鎖は人の感情の連鎖だ。不快な気持ちの憂さ晴らしを他人にすることで、受けた人が不快になり、またそれが他人へと繋がっていく。この負の連鎖を止める術は、結局のところ“相手を理解する”ということだ。

英国などでは学校の授業に「演劇」があるという。それは「演劇」が、人間関係を考えることに適している、役割を考えることに適しているからだろう。

私は常々、日本も採用すべきだと考えている。役柄であろうと、とことん自分以外の人間のことを突き詰めて考えてみる時間、習慣というのは大切なのではないだろうか。

くまざわ書店調布店 山下真央さん

日記なんだけど、これは物語だ。

けれど菜月の物語なのか、日記を書いている人物の物語なのか定かではない。

1月11日、グロテスクだと思ったのは「私」である。2月12日、私自身はなるべく元気でいようと思う。元気でいなければ、きっと菜月ちゃんの負の壮絶さに持っていかれる。2月25日、高熱で二日起き上がれなくて稽古に行けなかった。2月26日、今日一日の記憶がない。2月27日、菜月ちゃんに私が喰われてしまっていたということなのだと思う。3月2日、私の思考ははっきりしていて、この身体という特等席から菜月ちゃんを見守っていた。

ここまで読んで、私は怖いと感じた。

負の壮絶さに持っていかれないように、と心構えていたのに、持っていかれてしまう負の感情の強さに。一つの役にのめり込む「私」に、怖いと感じた。この演技を続けていくつもりであろう「私」はどこへ向かうのか。「私」は「あえて」を覚えているのだろうか。役と一生かけてつきあうことは幸せといえるのだろうか。

そう考えてしまいました。

芳林堂書店高田馬場店 飯田和之さん

日記という形式で演劇のそして役者の在り方について知ることの出来る作品とでもいえば良いのだろうか。普段知ることの出来ない職業の裏側を知れたようで何だか得した気分になりました。

未来屋書店入間店 佐々木知香子さん

他者を憑依させ理解強化すると自分が朧気に薄まりそうで怖いですが、止めることができないほどの楽しさと興奮がそれらを凌駕しそうです。

正和堂書店 猪田みゆきさん

タイトル通り、人間関係に潜む不均衡を主題とした演劇をする主人公の日記。

途中まで、菜月ちゃんって誰?え?と戸惑いつつも、芝居に向き合う自分自身や他の俳優との価値観の違いなどを織り交ぜ、役と本人の境目を無くしているようで無くさない主人公を見て、人は誰でも演じて生きているのかもしれない。

その仮面が剥がれなくて、今はメンタルを病む人が増えているのかな。と気付かされました。

紀伊國屋書店新宿本店 新井沙佑里さん

胸に刺さるのは、派手な事件ではなく、あまりに身近な本書のような物語なのだと改めて思いました。

私たちが無自覚に引き受けてきた役割のすべてがじわじわと可視化され、自分の言葉と態度を振り返らずにはいられない一冊です。

個人の感情に寄り添いながらも、社会構造へと視線を広げていく点が印象的で、すべての発言と行動は紙一重であることを突きつけられる。

静かな緊張感に貫かれ、ページをめくる手が止まらなかったです。

ブックジャーナリスト 内田剛さん

虚実の狭間で戸惑う時代の空気をものの見事に再現。

目には見えない呪縛。行先を阻む深い溝。複雑に絡み合った運命の糸・・・

「自分」を演じて生きる現代人の内面を鮮やかに切り裂き、

既存の価値観を容赦なく揺るがす。いま真っ先に読んでおくべき一冊だ!

くまざわ書店南千住店 鈴木康之さん

菜月ちゃんの舞台稽古の様子やなど日記形式で展開している斬新さそして母親との葛藤など実験的作品だと思います。あなたもぜひ読んで斬新さを味わってください。

試し読み

1月9日  三田菜月のことは菜月ちゃんと呼ぶことにした。  少しでも親しみを込められるように。  菜月ちゃんについて知らないことはたくさんある。好きな食べ物。趣味。特技。会社員時代の給料はどれくらいで、好きに使えるお金を菜月ちゃんはなにに使っていたか。だいたいの睡眠時間はどれくらい? 正確な身長や体重。髪型。髪を切る頻度。利き手なんかも、私は知らない。  菜月ちゃんについて知っていることは、菜月ちゃんがいつも笑っていたということだ。雨の日も風の日も、災害が起きた日も、同級生の葬儀の日も菜月ちゃんは笑っていた。それを不気味だと思うひともいれば、前向きでたくましいと思うひともいれば、なにへらへらしてるんだと思うひともいれば、やさしいと思うひともいた。菜月ちゃんが笑っているだけで、この子は自分のことが好きなんじゃないかと思うひともいた。菜月ちゃんは笑っていた。ただ笑っているだけだったからこそ、いろいろなひとから好き勝手に解釈された。  女の子は笑顔でいた方がいいよ。  菜月ちゃんは、母親と小学校の先生にそう言われたことがある。母親からは、とりわけしつこく、長年にわたって言われてきた。似たような言葉は、私も何度も投げかけられてきた。私はそういうの、なんかうるさいこと言ってる、といなすことができたけど、菜月ちゃんはそうではなかったみたい。菜月ちゃんは根がすごく真面目なんだ。それか、自分に自信がない子だったか。両方かもしれない。真面目で、他のひとが自分に向けて発する言葉にちゃんと耳を傾け、たとえ違和感を抱いても、それを撥ね返すほどの自信をうまく持てなかったのかも。

1月10日  歯医者にいく。ここの歯医者は受付に置かれている絵本が頻繁に変わっていてえらいと思う。もう一年ほど通っているけど、女性週刊誌の表紙に必ずと言っていいほど大谷翔平がいる。口内の左下にできものができていて、先月と比べると歯茎の腫れは引いているができものはやや伸びるように突起していた。口内炎ですかね、と聞くと、いやー、とお茶を濁され、また一か月様子見ということになった。施術台のモニターで見る私の歯のレントゲンは模型みたいにきれいで、菜月ちゃんと私は違う体なのだと実感してしまうから、来月は歯医者にいかない気がする。  私は、菜月ちゃんの子どものころのことも知っている。  保育園にも幼稚園にも彼女とは別に「なつき」という名前の子がいて、そのことで菜月ちゃんは「三田さん」と呼ばれていた。無口で、人見知りで、でも大人たちからはそれがいいように受け取られて、落ち着いた子だと思われていた。  知ることができるのは、菜月ちゃんが四歳から二六歳までのことに限られる。それ以前とそれ以後のことはわからない。  もちろん想像してみるのは可能だけど、どこまで想像していいものか塩梅が難しい。想像し過ぎると菜月ちゃんよりも私自身の存在感が勝ってしまうかもしれなくて、それは避けたい。

1月11日  女の子は笑顔でいた方がいいよ。  小学校の女の先生からそう言われたのは、同じクラスの男子が女子のスカートめくりをしていて、それを見た菜月ちゃんが水替えの途中の教室の花瓶を手から落として泣いてしまったからだ。破片と花と水と好奇の目に囲まれ、やってきた先生に泣いている理由を説明できなかったけど、菜月ちゃんは男子の方を指さしていた。花瓶を落としたことがショックなだけではないのは先生にもわかったはずだ。スカートめくりをされた女子も泣いていたのだから。でも先生は、菜月ちゃんとその子を(教室の遠くにいたのに)いっぺんに抱くようにしゃがみ込んで、「女の子は笑顔でいた方がいいよ」と言った。六歳の子たちに。二五歳の大人が。グロテスクだと思う。そう思ったのは、私。

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