熊本空港に降り立った司馬遼太郎一行はまず、熊本市の北隣の植木町(現・熊本市北区植木町)に西南戦争の古戦場として名高い田原坂を訪れる。司馬さんは、この地になお残る激戦の跡を目の当たりにし、関ケ原以来の肥後・薩摩の歴史的な対抗関係について思いを巡らし、さらに西郷隆盛という存在の歴史的な巨大さを考える。一行は八代に下り八代城跡を見た後、球磨川に沿って上流へさかのぼり、人吉で荷をほどく。鎌倉時代から700年近くにわたってこの地を治めた大名・相良氏の治績を訪ねた司馬さんは、その家系の歴史と世界史における日本の消長を重ね合わせる。人吉から肥薩の国境・久七峠を越え鹿児島に入った一行は浄土真宗の寺を見て、真宗の禁圧と隠れ門徒の存在に思いをいたす。川内を経て鹿児島市に向かう途上、苗代川の陶芸家・14代沈寿官の家に立ち寄る。司馬さんはかねて旧知の沈壽官の内面に、古い薩摩士族の面影を見出す。鹿児島市内で宿をとった後、沈壽官に勧められた蒲生を訪れた司馬さんらは、武家屋敷の青みがかった石垣に、この町に伝わる薩摩士族の気風を感じるのだった。