司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

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甲賀と伊賀のみち甲賀と伊賀のみち

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【旅の時期】 1973年春

伊賀上野城を出発点にした司馬遼太郎は、自身の小説『梟の城』の最初の場面の舞台・御斎峠を目指す。途中、西高倉の集落で炭焼きをする老人ら2人に出会い、老人との会話から現代日本の忙しさをかえりみる。付近にあるはずの廃補陀落寺跡を探すが見つからず、御斎峠を越えて甲賀へ入った司馬さんは、中世の近江の守護・六角高頼の危機を救った甲賀衆を思う。多羅尾を過ぎ、信楽に至ると、この地を含め複数の地に遷都を繰り返した聖武天皇という人物を考察する。


伊賀城


伊賀城


御斉峠

伊賀上野城
天正13年(1585)、筒井定次が築城。関ケ原の戦い以降は築城の名手・藤堂高虎が大改修を行ったが、慶長17年(1612)に暴風雨により倒壊した。日本最大級の高さを誇る石垣は高虎時代のもの。
三重県伊賀市上野丸之内106
西高倉
伊賀市内から御斎峠へ至る道上にある集落。高倉神社や廃補陀落寺跡、町石などが史跡として残る。
三重県伊賀市西高倉
御斎峠
伊賀に入る入り口「伊賀七口」のうちのひとつ。
三重県伊賀市西山
多羅尾
伊賀市の御斎峠を越えて甲賀市に入って最初にある集落。
滋賀県甲賀市信楽町多羅尾
信楽
信楽焼の町。街道沿いに焼き物の店が林立する。
滋賀県甲賀市信楽町
紫香楽宮跡
天平時代の都跡。天平17年(745)頃この地に聖武天皇が遷都した。大正時代の調査により「史跡紫香楽宮址」とされた黄瀬地区は、その後の調査で「甲賀寺」とわかり、現在ではその北に位置する「宮町遺跡」が紫香楽宮跡とされている。
滋賀県甲賀市信楽町

司馬遼太郎 街道をゆく | 第7巻 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 7

甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

大和・壺坂みち大和・壺坂みち

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【旅の時期】 1973年ごろ

奈良県の地図を見ていて壺坂山、高取山に登りたくなった司馬さんは、今井町にも寄ることにする。大和八木駅から今井町に入り、ゆるやかに流れる時間を味わう。壺坂へ向かう途中、高松塚古墳に立ち寄る。城下町の土佐から高取城への急斜面を登り、本丸を目指す。頂上からの眺めを楽しみ、壺阪寺へ向かって降りていく。

今井町
中世は浄土真宗の寺院・称念寺を中心に発達した城塞都市だった。江戸時代になると大和の商工業の中心地となった。
高松塚古墳
直径約18メートル、高さ約5メートルの小型の円墳。7世紀末から8世紀初めの築造と推定される。
土佐
高取城の城下町。藩邸や武家屋敷がつくられ、藩主・重臣が移り住んだという。
高取城跡
高取山につくられた山城跡。本丸天守台付近の標高は約584メートル。寛永17年(1640)に植村家政が2万5000石の大名として入城し、明治維新まで植村家の居城だった。
壺阪寺
正式には壺阪山南法華寺。眼病に霊験あらたかな寺として信仰される。
奈良県高取町壺阪3

司馬遼太郎 街道をゆく | 第7巻 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

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明石海峡と淡路みち明石海峡と淡路みち

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【旅の時期】 1974年11月

明石に着いた司馬遼太郎は、魚ノ棚商店街を歩いたのち、林崎漁港を目指し、農民国家であった日本で、漁師はどういう位置にあったかを考察する。播淡汽船で船上からの夕日に「西方浄土」を感じつつ、岩屋に上陸。古代海人さながらの漁師との会話を楽しみ、石屋神社を訪れる。淡路島の国生み伝説と古代淡路の海人について考えた司馬さんは、洲本では宮本常一と堂浦一本釣り漁師について思いをはせ、由良の漁協の組合長と語り合う。洲本城見学ののち、国分寺、慶野松原、郡家、伊弉諾神宮を巡り、松がマツクイムシにひどく荒らされている現状を嘆いた司馬さんは、背後にある土地投機問題を指摘し、日本の未来に警鐘を鳴らす。

魚ノ棚商店街
潮流の激しい明石の海でもまれたタコ、タイなど新鮮な魚が並ぶ、400年の歴史をもつ商店街。
兵庫県明石市本町1
林崎
豊かな漁場「鹿の瀬」に面した漁師町。
兵庫県明石市林崎町
明石海峡
本州・淡路島間の海峡。1998年、世界最長のつり橋である明石海峡大橋が完成。
兵庫県神戸市
石屋神社
崇神天皇の頃に創建されたとされる古社。
兵庫県淡路市岩屋799
洲本城
三熊山頂にある城で、国史跡。江戸期には山の麓にもうひとつの洲本城が築かれ、山上の城は逃げ城として隠された。
兵庫県洲本市小路谷字御熊山1272-2
国分寺
本尊の木造釈迦如来坐像は国指定重要文化財。
兵庫県南あわじ市八木国分331
慶野松原
播磨灘に面した松原で、約2.5キロにわたり松が植えられている。
兵庫県南あわじ市松帆慶野
伊弉諾神宮
祭神が伊弉諾大神、伊弉冉大神という淡路国一宮で、国生み神話ゆかりの神宮。
兵庫県淡路市多賀740

司馬遼太郎 街道をゆく | 第7巻 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 7

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砂鉄のみち砂鉄のみち

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【旅の時期】 1975年1月6日~8日

製鉄という技術の発達が人類の文明にとっていかに重要な契機となってきたか。司馬遼太郎は、鉄に対する長年の関心から、出雲から吉備にかけてのたたら製鉄の跡を訪ねる。作家の金達寿氏、考古学者の李進熙氏、そして雑誌「日本のなかの朝鮮文化」を主宰していた鄭貴文と鄭詔文の兄弟も同行した。米子空港に降りた一行はまず雲伯国境の安来市に入り、「和鋼記念館」を見学する。続いて八岐大蛇が退治されたという鳥上山(船通山)の麓で砂鉄による製鉄を行う鳥上木炭銑工場を訪れた。翌日は宍道湖畔を西進、光明寺で朝鮮鐘と対面し、斐伊川をさかのぼって吉田村(現・雲南市吉田町)で、現存する日本唯一の近世たたら遺構「菅谷たたら」を訪ねる。さらに出雲街道の難所・四十曲峠を越えて岡山に入り、湯原温泉で荷をほどく。3日目は加茂町(現・津山市加茂町)で古代製鉄を統御した豪族の墳墓とされる万灯山古墳や、桑谷の近世たたらの遺跡を回る。最後は森氏の城下町・作州津山に入り、藩お抱えの鋳物師の末裔で先祖は百済王敬福であるという「百済質店」主人に出会って、改めて朝鮮半島から連なる製鉄文化の流れを実感するのだった。

和鋼博物館
司馬さんが訪れた和鋼記念館が、日立金属から安来市に移管されてできた博物館。たたら製鉄の歴史や流通にかんする資料が展示されている。
島根県安来市安来町1058
日立金属安来製作所 鳥上木炭銑工場
工場内には、日本美術刀剣保存協会の所有するたたらがあり、毎年2月に操業される。一般の見学は不可。
島根県奥出雲町大呂529
鳥上山(船通山)
斐伊川の源流が発し、この山上でスサノオが八岐大蛇を退治したという神話がある。
揖夜神社
『出雲国風土記』に「伊布夜社」として登場する由緒ある古社。
島根県松江市東出雲町揖屋2229
光明寺
9世紀のものと思われる朝鮮鐘がある。
島根県雲南市加茂町大竹292
菅谷たたら
現存する唯一の高殿形式のたたら。周辺にはたたら製鉄に従事していた人びとの暮らしていた家並みも保存されている。
島根県雲南市吉田町吉田4210-2
田部家土蔵群
室町時代に始まる鉄師で、のちには山林王となり島根県知事も務めた田部家所有の土蔵群。
島根県雲南市吉田町吉田
四十曲峠
旧出雲街道で伯耆国(鳥取県)と美作国(岡山県)を分かつ峠。「東の箱根、西の四十曲」と称された難所だったが、現在はトンネルが通っている。
新庄
四十曲峠の東麓にある宿場町。「がいせん桜通り」には往時の佇まいが保存されている。
湯原温泉
24時間無料で入湯できる露天風呂「砂湯」は、旭川の川底から湧き出る名勝の湯。
万灯山古墳
6世紀後半の築造の円墳で、多くの鉄滓が出土している。
岡山県津山市加茂町塔中
桑谷たたら遺跡
近世の製鉄遺構で、周辺には鉄滓が大量に転がっている。
岡山県津山市加茂町黒木
津山市吹屋町
鋳物師の町ではないかと司馬さんが訪れた古い町並み。津山市には旧出雲街道沿いの城東街並み保存地区など、歴史的景観が数多く残される。

司馬遼太郎 街道をゆく | 第7巻 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 7

甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか

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この巻の目次この巻の目次

  • 【甲賀と伊賀のみち】伊賀上野/ふだらくの廃寺へ/甲賀へ/紫香楽宮趾
  • 【大和・壺坂みち】今井の環濠集落/高松塚周辺/植村氏の事/山坂四十四丁/城あとの森
  • 【明石海峡と淡路みち】明石の魚棚/鹿の瀬漁場/播淡汽船/海彦・山彦/宮本常一氏の説/雲丹/海の神々/二つの洲本城/松と国分寺/松の淡路/飼飯の海
  • 【砂鉄のみち】砂鉄の寸景/山鉄ヲ鼓ス/和鋼記念館/乾燥と湿潤/鉄と古代/森を慕う韓鍛冶/出雲の朝鮮鐘/出雲の吉田村/菅谷の高殿/まさご吹く吉備/鉄の豪族/崖肌の木炭/吉井川の鋳物師

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