司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

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熊野・古座街道熊野・古座街道

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【旅の時期】 1975年4月

司馬さんは西日本の習俗である若衆組に思いを馳せながら、友人のKさんに伴われ、古座の川丈七カ村を旅する。白浜駅から国道42号、むかしの大辺路を南下し、周参見から内陸の古座街道へ入る。雫の滝を経て、かつての山中の川港・真砂、洞尾の一枚岩へ。川原で山菜や川魚など土地の料理を供された後、明神の集落まで古座川下りをする。明神でKさん宅を訪ね、潜水橋、かつての若衆宿の建物を見て、河内神社の前を通り、河口の町・古座で旅を終える。


古座


古座川


古座川

周参見
室町期の豪族、周参見氏の根拠地であった集落。
和歌山県すさみ町
雫の滝
古座川沿いにある瀑布。
和歌山県すさみ町小河内
真砂
かつて川丈七カ村の流通の要衝、山中の川港であった集落。
和歌山県古座川町真砂
一枚岩
名前のごとく1枚の岩が造る自然の造形。洞尾にある。
和歌山県古座川町洞尾
明神の若衆宿
もと若衆宿だった建物が残る。現在は民家。
和歌山県古座川町月野瀬
潜水橋
明神と潤野の集落のあいだに架けられた橋。
和歌山県古座川町明神
河内神社
槙の木の林に拝所がしつらえられた神社。川中に見える浮島がご神体。
和歌山県古座川町宇津木
古座
古座川が熊野灘に流れこむ河口に拓けた集落で、川丈七カ村のうち最も栄えていた。
和歌山県串本町古座

司馬遼太郎 街道をゆく | 第8巻 熊野・古座街道、種子島みち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 8

熊野・古座街道、種子島みち ほか

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【旅の時期】 1975年8月3日~6日

大分県の由布院と日田を訪ねた。由布院では、若い当主・中谷健太郎氏が経営する宿(亀の井別荘)に泊まり、中谷氏らが推し進める由布院の「町づくり」の気運を体感した。途中にある九重高原の長者原、近世に森藩があった玖珠町にも寄って日田へ。日田では、鵜飼いを見たり、近世の名教育者・広瀬淡窓の史跡を回ったりしたが、むしろ旅館の仲居さんの話や理髪店の客同士の会話などから、天領として栄えた時代に培われた日田の風土を実感することになった。

亀の井別荘
由布院を代表する旅館。広い敷地に、民家を移築して造られた客室や大浴場、談話室などが点在する。
大分県由布市湯布院町川上2633-1
角牟礼城跡
全国的にも珍しい「穴太積み」の石垣など、戦国時代の山城の特徴を持つ。国史跡。
大分県玖珠町森
長者原
阿蘇くじゅう国立公園内に位置する高原リゾート。九重登山の表玄関。
大分県九重町田野
咸宜園跡
幕末、広瀬淡窓が開き、全国から塾生を集めた私塾の跡。国史跡。
大分県日田市淡窓2-2-13
日田温泉
日田市街、三隈川の北側に大型温泉旅館が並ぶ。春から秋にかけて、鵜飼いを見せる屋形船が出る。
大分県日田市隈
豆田町
17世紀の町割り、水路、寺社、蔵などが残る。重要伝統的建造物群保存地区。
大分県日田市豆田町

司馬遼太郎 街道をゆく | 第8巻 熊野・古座街道、種子島みち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 8

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大和丹生川(西吉野)街道大和丹生川(西吉野)街道

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【旅の時期】 1975年9月7日~8日

この年の春、若衆組の残像に触れるために熊野・古座街道を訪れた司馬さんは、同じ紀伊半島の大山塊から流れる吉野川、丹生川の川筋も訪ねてみようと思い立つ。下市町から唐戸、十日市、鹿場とまわるが、若衆組の記憶を持つ人には遂に出会わなかった。日本の土俗の風習である若衆組は、奈良盆地に近いこの西吉野では中央の指導が行き渡り、<あとかたもなく消えてしまった>のだろうと考える。

十日市
丹生川流域に沿って広がる集落。かつて市が立っていたことからこの名がついた。
奈良県五條市西吉野町十日市

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種子島みち種子島みち

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【旅の時期】 1975年9月28日~30日

薩摩の士族文化の残像が濃厚に遺されているのではないか――司馬遼太郎はそんな思いから種子島へ旅する。大阪からの直行便で種子島空港に着いた司馬さん一行は、旧友である薩摩の陶工・14代沈寿官氏と合流し、島主種子島家の旧城下・西之表の市長で郷土史家でもある井元正流氏らの案内で島の北部へと向かった。島の北西に浮かぶ馬毛島でかつて鹿狩りを催した西郷隆盛の側近・桐野利秋と田上権蔵ら種子島士族の間に生じた確執に、司馬さんは種子島と薩摩本藩との間にあった相克を考える。種子島西岸を北上した一行は、砂鉄を含む土が独特の風合いを生んだという能野焼の古い窯跡や砂鉄を採った海岸の集落をめぐる。種子島は鉄砲伝来以前から鉄の島であった。その夜、西之表のホテルで沈寿官夫妻や種子島家当主の弟・種子島時哲氏らと宴を囲む。翌日は種子島家歴代の墓に参った後、島北端の喜志鹿崎から黒潮の流れを望み、鉄砲を紀州根来をはじめ全国にひろめたであろう海上の道を思う。3日目、司馬さん一行は鉄砲伝来の地・門倉岬をめざし島の南部を訪ねる。千座の岩屋という奇岩名勝が名高い熊野浦では、その地名に紀州熊野とのつながりを想像するのだった。

浜津脇港
種子島西岸のほぼ中央に位置する漁港。
住吉神社
海上平安の守護神を祀り、住吉漁港をのぞむ小山に鎮座する。
能野焼窯跡
傾斜地を利用した登窯で、明治39年(1906)まで使われていた。能野焼は砂鉄を含んだ土を用いた深く素朴な風合いが特徴。
日本甘藷栽培初地之碑
元禄11年(1698)に種子島久基が琉球から譲り受けたサツマイモを初めて栽培した。
西之表港
鹿児島から続く国道58号の島内での起点。
西之表市立 種子島開発総合センター(鉄砲館)
司馬さんが訪れた市立種子島博物館が前身。外観は南蛮船をイメージしたもの。
鹿児島県西之表市西之表7585
内城跡
寛永元年(1624)までの種子島家の居城(赤尾木城)跡。
鹿児島県西之表市西之表7617
栖林神社
甘藷(サツマイモ)栽培を初めて導入した19代島主・種子島久基を祀る。
鹿児島県西之表市西之表7597
種子島家累代之墓
栖林神社の境内にある島主歴代の墓地。
喜志鹿崎
種子島最北端の地。メヒルギの自生群や灯台がある。
島間港
国道58号の島内での終着点。屋久島行きのフェリーが発着する。
門倉岬
種子島の最南端。鉄砲をもたらした船はこの岬から見おろす海岸に漂着した。岬周辺は公園として整備されている。
鹿児島県南種子町西之
前之浜
明治27年(1894)にイギリス船ドラメルタン号が漂着した。救助にあたった島民と船員の交流を記念する碑がある。
千座の岩屋
太平洋の荒波にさらされた海蝕洞窟。
鹿児島県南種子町平山
熊野神社
享徳元年(1452)、種子島幡時が紀州熊野権現宮から分霊して祀ったといわれる。
鹿児島県中種子町坂井

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この巻の目次この巻の目次

  • 【熊野・古座街道】若衆組と宿/田掻き/熊野海賊の根拠地/山奥の港/一枚岩/薩摩の話/瀬の音/川を下りつつ/河原の牛/明神の若衆宿/古座の理髪店
  • 【豊後・日田街道】国東から日出へ/油屋ノ熊八/由布院の宿/土地と植物の賊/梵音響流/豊後のツノムレ城/天領・日田郷/鵜匠/日田小景/朝鮮陶工の塚
  • 【大和丹生川(西吉野)街道】ブンズイの里/川底の商家群/麦つき節
  • 【種子島みち】種子島感想/南原城のことなど/鹿をなぐる人/鉄と鉄砲/島の雨/喜志鹿崎/骨董屋/千座の海鳴り

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