司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

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潟のみち潟のみち

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【旅の時期】 1975年11月

耕作に適した土地に恵まれなかった人々が、それでも苦労して田畑を拡げていった歴史に興味をひかれた司馬さんは、新潟の低湿地を訪れた。まず、信濃川と阿賀野川の中州にできた亀田郷を訪ね、亀田郷土地改良区の事務所で佐野藤三郎理事長の話を聞いたり、排水機場や鳥屋野潟を見学して、低湿地を水田に変えていった労苦を思う。ついで、阿賀野川を渡って豊栄市(現・新潟市)では、全国に名をとどろかせた木崎村小作争議の話を、当時を知る古老たちに聞いた。翌日は、この旅行のもう一つの用事として、村松町の山中に、友人で詩人のぬやまひろし氏の息子さんらがやっている「新潟・中国語講座・上杉専門課程研修所」を訪ねた。

亀田郷
信濃川、阿賀野川、小阿賀野川に囲まれた輪中地帯。350年以上かけて乾田化が進められてきた。
新潟県新潟市
亀田郷土地改良区
土地改良法に基づき、農業の基盤整備を中心に事業を進める法人の事務所。資料展示館もある。
新潟県新潟市江南区東早通1-2-25
親松排水機場
亀田郷の揚水機場・排水機場の中でも最も大きい施設。
木崎村小作争議記念碑
1920年代を代表する大争議だった木崎村争議の碑。
新潟県新潟市北区

司馬遼太郎 街道をゆく | 第9巻 信州佐久平みち、潟のみち ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 9

信州佐久平みち、潟のみち ほか

播州揖保川・室津みち播州揖保川・室津みち

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【旅の時期】 1976年3月22日~23日

『播磨灘物語』の主人公・黒田官兵衛が一時居城としていた山崎を訪れたいと考えた司馬さんは、西播州の生まれで少年時代をこの地で過ごした歌人の安田章生氏とともに揖保川沿いに車を進める。古代稲作民について思索を巡らせながら伊和神社の境内を歩き、安田氏の母校・山崎小学校で山崎城のわずかな名残を見る。龍野では三木露風を心に浮かべる。揖保川を下り、奈良朝以来の港である室津に宿をとった司馬さんは、現在のものさびた町並みを前に、中世、外洋を航海した船のことや、四国に流される途上でこの地に立ち寄った法然上人に思いをはせる。


揖保川


室津港

伊和神社
祭神は大己貴神。古木がうっそうと茂る境内には、司馬さんが古代信仰の対象だったと考える「鶴石」がある。
兵庫県宍粟市一宮町須行名
山崎小学校(山崎城跡)
戦国時代末期、木下勝俊が築城し、明治以降は藩邸がそのまま学校になった。同行した安田章生氏の母校。
兵庫県宍粟市山崎町鹿沢82
揖保川
全長約71キロ。流域は清流を利用した醤油、そうめんなどの産業が盛ん。川に沿って姫路と鳥取を結ぶ因幡街道が通る。
龍野公園(龍野城跡)
龍野は江戸時代、脇坂氏の城下町として栄えた。本丸御殿、多聞櫓などが復元されている。
兵庫県たつの市龍野町中霞城
賀茂神社
室津港を抱くように突き出した岬の上に立つ。室津は古くから京都上賀茂神社の神領だったため、その別宮として建てられた。社殿や回廊、唐門は国指定重要文化財。
兵庫県たつの市御津町室津75
浄運寺
法然上人二十五霊場のひとつ。法然上人像や法然に帰依したとされる遊女・友君の墓がある。
兵庫県御津町室津168

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高野山みち高野山みち

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【旅の時期】 1976年6月5日~6日

空海の開創した高野山をめざす司馬遼太郎一行は、車で大阪から紀見峠を南へ越えて麓の九度山に入る。真田父子の悲運に思いをいたし、慈尊院で空海の母を思う。九度山から高野山へ登る町石道は当時荒れ果てて廃道同様になっていた。その入り口で、司馬遼太郎は鬱然とした樹々の木下闇に、深山幽谷に引き込まれていくような畏れを感じた。高野聖たちが空海と浄土信仰を結びつけたことを思い、その晩遅くに山内へ上がる。翌日、旧知の西南院住職の案内で、奥の谷に入り、修行僧たちが念仏を専修する真別処を訪ねる。森閑とした域内に佇む沙羅双樹の木を見て、司馬遼太郎はインド仏教の原思想とそれを移入した日本文化との関係に思いを巡らせる。

真田庵(善名称院)
真田昌幸・幸村父子隠棲の地。境内には昌幸の墓や宝物資料館がある。
和歌山県九度山町九度山1413
慈尊院
弘法大師空海が弘仁7年(816)に開いた古刹。本尊の弥勒仏坐像は国宝。
和歌山県九度山町慈尊院832
丹生官省符神社
空海が開いたとされる。本殿は天文10年(1541)再建で、重要文化財。
和歌山県九度山町慈尊院835
壇上伽藍
奥の院と並ぶ高野山の二大聖地。根本大塔や国宝の不動堂など多くの堂塔が立ち並ぶ。
和歌山県高野町高野山152
大門
かつての表参道である町石道を登りきった所に立つ。宝永2年(1705)の再建。重文。
和歌山県高野町高野山大門
西南院
司馬遼太郎の宿泊した宿坊。
和歌山県高野町高野山249
苅萱堂
苅萱道心とその子・石童丸をめぐる親子の悲劇が堂内の板絵で紹介されている。
和歌山県高野町高野山479
熊谷寺(持宝院)
一の谷で平敦盛を討った熊谷次郎直実が出家し、ここで両軍戦死者の霊を弔う法要を開いたと伝えられている。
和歌山県高野町高野山501
円通律寺(真別処)
数十人の僧が厳しい修行を重ねている道場であり、観光客の入山は許されていない。
和歌山県高野町高野山

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信州佐久平みち信州佐久平みち

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【旅の時期】 1976年7月25日~27日

旅の前、司馬さんは信濃の地図を眺めて、信濃には更級や蓼科など「科(級)」のつく地名が多いことに気付き、その意味を考える。また桜井や海野などという地名から、桜井氏や海野氏など、中世信濃武士団の興亡を思う。旅の起点はJR長野駅。最初の宿泊地・別所温泉に行く途中、上田市の商店街の街灯に真田六文銭のマークがあるのを見て、上田が「真田氏の町」であることを実感する。別所温泉では、この地を訪れた捨聖・一遍の、すべてを捨てて求道をつらぬいた生を考える。翌朝、常楽寺、安楽寺を訪ね、午後は臼田の佐久総合病院に入院中の知人(詩人のぬやま・ひろし)を見舞う。南軽井沢に泊まった翌日、旧中山道沿いの望月宿をめざした。その途中、昼食を食べるために立ち寄った岩村田の蕎麦屋のテレビで田中角栄前首相の逮捕を知る。望月は平安朝の御牧のあった所。信州の騎馬が木曾義仲の軍事の要だったこと、清少納言『枕草子』の望月宿の記述へ思いをはせ、旅を終える。

常楽寺
円仁の開山で、北向観音の本坊。徳川家康の「日課念仏」などが常楽寺美術館に展示されている。
長野県上田市別所温泉
安楽寺
日本唯一の八角三重塔は、長野県で最初に国宝に指定された。
長野県上田市別所温泉
信濃国分寺跡
礎石が残された史跡公園として整備されている。園内に信濃国分寺資料館がある。
長野県上田市国分1125
海野宿
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。旧宿場内に海野宿歴史民俗資料館がある。
長野県東御市本海野
塩名田宿
千曲川の河畔にあり、橋がかけられていなかった江戸時代には、渡し場の宿として栄えた。
望月宿
江戸時代の文化元年(1804)には29軒の旅籠があってにぎわった。7~8世紀には朝廷に馬を貢納する御牧があった。
長野県佐久市望月

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この巻の目次この巻の目次

  • 【潟のみち】渟足柵と亀田郷/佐久間象山の詩/「郷」というもの/潟の中の小さな幕府/鳥屋野潟風景/滄桑の変/木崎村今昔/七十五年の藤/人の世のこと/山中の廃村/小さな隠れ里
  • 【播州揖保川・室津みち】播州門徒/底つ磐根/鶏籠山/樽と琴の音/七曲/古き塚の狐/花のことども/岬の古社/一文不知
  • 【高野山みち】真田庵/政所・慈尊院/高野聖/森の青蛙/谷々の聖たち/沙羅双樹
  • 【信州佐久平みち】しなの木と坂/上田の六文銭/捨聖一遍/山寺の中の浮世絵/千曲川点景/小波だつ川瀬/延喜式の御牧/望月の御牧

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