司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

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【旅の時期】 1979年6月4日~7日

安芸と備後とから成る広島県を司馬遼太郎は、広島駅を起点に国道54号を吉田と三次を目指して北上する。上根のあたりで川が日本海に向かって流れていることに気がつき、古代の広島県は瀬戸内海よりも日本海文化圏に入っていたのではないかと考える。2泊した吉田では戦国大名毛利元就ゆかりの郡山城趾や猿掛城跡を訪れる。地元で今なお慕われ続ける元就は「領民撫育」と「一郷団結」の方針をもつ人物で、そのことがのちに幕末、長州藩が身分を超えて団結する気風につながったと指摘する。吉田郊外の浄土真宗高林坊も訪れる。三次では町の名の由来を考える。岩脇古墳の丘の上から幾筋もの川が渦巻く三次盆地を見下ろしながら、思いははるか古代へとさかのぼる。三次に点在する古墳群は古代朝鮮から渡来し、出雲に定着したタタラ衆の墓ではないか――と想像する。三次で1泊し、最終日には鳳源寺を訪ねて古い城下町の雰囲気を愛でる。

上根の分水嶺
標高267メートル。日本海に流れ込む江の川水系と瀬戸内海へ流れ込む太田川の分岐点。
広島県安芸高田市八千代町上根
長州藩士ゆかりの里
国道54号沿いには、国司氏や桂氏など、幕末に活躍した藩士の祖先ゆかりの場所が点在する。毛利氏が関ケ原の戦いで敗れて防長2州へ移封されたのに従った家だ。
広島県安芸高田市吉田町
安芸高田市歴史民俗博物館
古代から近世の吉田町の歴史を紹介。中世の毛利氏関連の展示が中心で、毛利元就画像や郡山城復元模型などがある。
広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
郡山城趾
大永3年(1523)に家督を継いだ毛利元就が、全山の城郭を完成させたといわれる。
広島県安芸高田市吉田町吉田
猿掛城跡
毛利元就が家督を継いで郡山城に移るまでの幼年期を過ごしたといわれる中世山城跡。
広島県安芸高田市吉田町多治比
高林坊
明応5年(1496)開基と伝わる浄土真宗本願寺派の巨刹。寺宝の銅鐘は県指定重要文化財。
広島県安芸高田市甲田町高田原929
岩脇古墳
約3000基といわれる三次の古墳の中でも最大規模の直径30メートルの円墳。石室がいくつかある。副葬品が出ていないため築造年代は不明だが、5世紀以前とされる。
広島県三次市粟屋町
三次の橋
可愛川(江の川)、馬洗川、西城川の3つの川の合流点になっている三次中心部には、それぞれ個性のある橋が架けられている。/dd>
広島県三次市中心部
鳳源寺
寛永10年(1633)に、三次浅野家初代の長治が創建。境内に「赤穂事件」で知られる浅野長矩の正室だった瑤泉院の遺髪塔がある。
広島県三次市三次町1057

司馬遼太郎 街道をゆく | 第21巻 神戸・横浜散歩、芸備の道 ほか

司馬遼太郎 街道をゆく 21

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【旅の時期】 1982年7月29日~31日

神戸港に浮かぶ人工島のホテルに宿泊した司馬さんは、布引の滝や外国人墓地を歩き、「神戸」という街の原形について思索を深める。さらに、陳徳仁氏の紹介で神戸に住むロシア人のモロゾフ氏やウラジオストクの英国商人の子息・金井厚氏に出会う。韓晳曦氏が設立した朝鮮史の専門図書館「青丘文庫」では、私費で運営されてきた文庫が生み出した学問的な功績を思う。


神戸夜景


布引の滝

布引の滝
生田川の源流である布引渓流にかかる名瀑。『伊勢物語』などで古くから知られる。雄滝(43メートル)、雌滝(19メートル)、夫婦滝、鼓ケ滝がある。
兵庫県神戸市中央区葺合町
神戸市立外国人墓地
慶応3年(1867)に開設され、昭和27年(1952)、この地に移転した。日本とかかわりのある外国人約2500柱が埋葬されている。敷地の一部が一般公開されている(葬儀中や礼拝堂使用中は除く)。
兵庫県神戸市北区再度公園内
旧居留地
神戸開港とともに開かれた外国人居留地は、明治32年(1899)まで存続した。現在でも大正~昭和初期の建物が随所に残る。
兵庫県神戸市中央区
青丘文庫
韓晳曦氏が設立した朝鮮史専門図書館。須磨区にあったが、現在は移転して神戸市立中央図書館の一施設となっている。
兵庫県神戸市中央区楠町7-2-1
神戸華僑歴史博物館
陳徳仁氏によって昭和54年(1979)に設立された博物館。神戸の華僑に関する文物、文献、写真などが展示されている。
兵庫県神戸市中央区海岸通3-1-1

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【旅の時期】 1982年9月12日~14日

司馬遼太郎は、幕末に横浜区域とされていた「関内」を旅の範囲と定める。吉田橋や馬車道では、福沢諭吉や英国の女性旅行家イサベラ・バードら開港早々の横浜にやってきた人々のことを考える。「灯台局発祥の地」碑や旧幕府の語学所跡では、英国人土木技師R・H・ブラントンや、宣教師でフランス語教師のメルメ・カションら居留地で活躍した外国人のことを思う。浜辺の倉庫群では、大正3年(1914)に新港ふ頭が完成するまでの紆余曲折に触れる。そして、三島由紀夫や長谷川伸らの多くの文学作品を生み出した横浜の都市の気分に思いをはせる。横浜市港湾局では港務部長の中新井昂さんに「ポート・セールス」の話を聞き、山下公園に繋留されている氷川丸を訪ねて旅を締めくくる。

吉田橋関門跡碑
横浜開港後、開港場の外国人保護と警備のため、この場所に関所を設けて出入りを取り締まった。明治2年(1869)に日本で初めて鉄製の橋が架けられ、「かねの橋」の愛称で親しまれた。
神奈川県横浜市中区吉田町1
馬車道
慶応3年(1867)に居留地の外国人の要請で造られた馬車専用の道。馬車道は緑化のための街路樹やガス灯の発祥の地でもある。
神奈川県横浜市中区吉田橋~本町通
灯台局発祥の地
明治元年(1868)に来日した英国人土木技師R・H・ブラントンは、全国の灯台事務を管理する灯台局をこの地につくった。ブラントンは明治9年(1876)に帰国するまでに28基の灯台建設を手がけた。
神奈川県横浜市中区北仲通6-34
みなとみらい21新港地区
完成当時、「東洋一」と呼ばれた「新港ふ頭」。横浜開港後、外国船が荷を積みおろしする碇泊場所として大正3年(1914)に完成した。2棟ある赤レンガ倉庫は展示場や雑貨店が入る複合施設として平成14年(2002)に新装オープンした。
大さん橋国際客船ターミナル
明治25年(1892)、横浜港最初の築港工事として着工した「鉄桟橋」。設計は英国人技師のH・S・パーマー。現在は「飛鳥」や「クリスタル・ハーモニー」などの豪華客船が入港することで知られる。
氷川丸
名前の由来は埼玉県の氷川神社。日本郵船の社船として昭和5年(1930)に竣工し、戦前、戦後を通じて北太平洋を238回横断し、延べ2万5000人を運んだ。昭和36年(1961)に山下公園に永久繋留された。
神奈川県横浜市中区山下町山下公園

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この巻の目次この巻の目次

  • 【芸備の道】安芸門徒/三業惑乱/川と里/町役場/元就の枯骨/猿掛城の女人/西浦の里/高林坊/三次へ/水辺の民/岩脇古墳/鉄穴流し/鳳源寺
  • 【神戸散歩】居留地/布引の水/生田川/陳徳仁氏の館長室/西洋佳人の墓/青丘文庫
  • 【横浜散歩】吉田橋のほとり/語学所跡/海と煉瓦/路傍の大砲/光と影

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