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三浦半島記

旅のルート旅のルート

【旅の時期】 1995年1月3日~8日、1月19日、2月4日~7日、4月24日~26日

司馬遼太郎の旅の拠点は、三浦半島の付け根部分にあたる横浜・磯子のホテル。ここから<毎日勤め人のように>半島に通い、鎌倉幕府出現の背景を考える。司馬さんは、源頼朝の挙兵成功の理由を、三浦、房総、伊豆の3半島の連動にあったと思い至る。それぞれの半島の勢力が海路を使って連携したのだ、と。大楠山の山頂から3半島の位置を改めて確認し、衣笠山では、頼朝を助けた三浦大介義明に思いを馳せる。そして、若宮大路、鶴岡八幡宮、極楽寺坂、朝比奈切通しなど、頼朝や義経、新田義貞らの足跡を辿る。半島を下り、横須賀で考えたのは、「スマートであれ」が教育方針だった旧海軍のこと。日露戦争で活躍した連合艦隊旗艦「三笠」を訪ねて、かつて出会った品のいい元海軍士官の紳士たちを思い出すのだった。


三笠


釈迦堂の切通し

大楠山
高さ241メートル。三浦半島最高峰。司馬さんはここから房総半島、伊豆半島を眺めた。
神奈川県横須賀市芦名3丁目
頼朝の墓
建久10年(1199)、落馬したのがもとで死んだ頼朝の墓と伝わる。
神奈川県鎌倉市西御門2丁目
若宮大路(段葛)
鶴岡八幡宮から由比ケ浜まで一直線に伸びる道。中央に盛り土をして一段高くなったのが段葛。
鶴岡八幡宮
源頼朝が開いた鎌倉幕府の政治の中心地。
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
由比ケ浜
鎌倉期の人骨が多数発掘された浜。夕陽が美しい。
極楽寺坂
鎌倉七口の一つ。坂上に忍性開山の極楽寺、坂途中にあじさいで有名な成就院がある。
神奈川県鎌倉市極楽寺2丁目
久里浜
ペリー上陸の地。米国大統領の親書の受け渡しが行われた。
浦賀湾
嘉永6年(1853)、沖合にペリー率いる黒船艦隊が停泊した。
料亭「小松」
明治18年(1885)創業。旧海軍横須賀鎮守府のころから、海軍士官がよく行った料亭。
神奈川県横須賀市米が浜通2-15
三笠公園
日露戦争で奮戦した連合艦隊旗艦「三笠」を展示。
神奈川県横須賀市稲岡町82

この巻に登場する人物この巻に登場する人物

この巻の目次この巻の目次

  • 【三浦半島記】武者どもの世/血と看経/時代の一典型/伊豆山権現/三浦大根と隼人瓜/三浦大介/房総の海/崖と海/〝首都〟の偉容/銀の猫/化粧坂/青砥藤綱の話/墓所へ登る/頼朝の存念/三浦一族の滅亡/鎌倉の段葛/鎌倉権五郎/横浜のなかの鎌倉文化/頼朝と秀吉/小栗の話/「三笠」/記憶の照度/昭和の海軍/久里浜の衝撃/ミッドウェー海戦/横浜・二俣川/鎌倉とキスカ島/一掬の水/鎌倉陥つ

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司馬遼太郎 街道をゆく | 第42巻 三浦半島記

司馬遼太郎 街道をゆく 42

三浦半島記

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