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バリアフリー 2005年2月1日号
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ATマーケットのウエブサイト( http://www.at-market.org/)。「スイッチXS」日本語化には、千葉の病院に入院する筋ジストロフィーのマックユーザー・相原誠さんが協力。相原さんは現在、このサイトでスイッチXSの導入相談に答えるアドバイザーも務めている。
文・写真 中和正彦
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PCで絵を描き続ける難病画家と 訪問支援をビジネス化した女性起業家
「私の場合パソコンは道具というより、もう身体の一部のようなものです。パソコンなしでは、何も表現や発信ができません。だから新しい機器やソフトを導入するとき、こうして来てサポートしてくれるととても安心できます」
神奈川県小田原市内の国立病院に20年以上入院している酒井寿さん(47)は、そう言って、東京から訪ねた障害者のIT利用支援企業「ATマーケット」の花岡里美さんに感謝した。
酒井さんは脊髄性筋委縮症という難病のため、歩いたことがない。脚に比べれば多少は自由に動く手で、自宅でひとり絵を描く少年時代を送った。1981年に現在の病院に入院した後は、創作活動として本格的に絵画に取り組むようになった。しかし、病気が進行していずれは筆が持てなくなることは避けられなかった。
89年、絵を描くために初めてパソコンを購入。92年、あこがれだったマックに買い替えた。そしてついに筆を持てなくなった95年、障害者のマック利用窓口「アップル・ディスアビリティセンター」から、キーボードやマウスを使えない人のためのマック版オンスクリーンキーボード「キネックス」を購入し、導入支援を同センターに依頼した。
受け付けたのが、センターの職員になったばかりの花岡さんだった。花岡さんはそれまで輸入貿易業務に携わっていたが、まったく畑違いの障害者訪問支援にすぐにやりがいを見いだした。
「障害がある方々は読み書きやコミュニケーションなど、本当に必要なのにできなかったことを可能にしてくれる機械だからコンピューターを使うんです。一度使い始めた人たちは、パソコンを大切な大切な宝物のように思っています。そういう人たちと出会って、この仕事がやめられなくなりました」
導入支援を欠いたための不幸とも、数多く出会った。たとえば、国や自治体の予算で養護学校や障害者施設などにIT機器が導入されても、有効活用されないまま終わる例が多かった。障害者個人レベルでも、「私には使えないと思っていた」という話が絶えなかった。
2002年、花岡さんはこうした状況を変えようと独立。障害者個人への訪問支援を柱とする「ATマーケット」を設立した。ATは障害者支援技術を指す、アシスティブ・テクノロジーの頭文字だ。
だが障害者個人への訪問支援で本人から十分な対価を得ることは、現状では厳しい。それをビジネスとして成立させたのは、パソコンなどIT機器メーカーのアウトソースニーズだ。
障害者へのパソコン普及率も高まり、メーカー側も支援の充実を迫られているが、障害は個人差が大きいため、個別対応は難しい。支援業務をノウハウのある人に委託したいというニーズが、メーカー側にはある。現在、ATマーケットの訪問支援業務の7割は、メーカーから委託されたものだという。
しかし、メーカーの委託を待つだけではカバーできない支援ニーズもある。たとえば、障害のあるマックユーザーに親しまれてきた「キネックス」に、いまもマックOS?の対応版はない。ユーザーの声におされた花岡さんは、自らオランダ企業が開発したマックOSX用のオンスクリーンキーボード「スイッチXS」を探し出して日本語化、2004年9月に発売した。当然、訪問支援も行う。酒井さんはその第1号だ。
外国ソフトの日本語化まで行ったのは本業の範囲外。訪問支援も、エリアは東京と近県だけで精いっぱいだが、個人からの依頼にも可能な限り対応していきたいという。
花岡さんの訪問サポートに同行した後日、うれしい知らせが届いた。秋田県岩城町で開催された「岩城CGアートフェスティバル」静止画部門で、酒井さんがグランプリを受賞したという。絵筆を握れなくなった後もパソコンで探求し続けた絵画表現が、ついに大きな評価を得たのだ。
照れ気味の本人に代わって筆者に知らせてくれたのは、受賞を我がことのように喜ぶ花岡さんだった。
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