HOME / 雑誌 / ASAHIパソコン / バリアフリー / 2005年12月1日号
バリアフリー 2005年12月1日号
群馬県障害者情報化支援センターの職員は、桜井和久さん(前列右から2人目)以外は非常勤(週数日)で、ボランティアの協力を得ながら同センターを運営している。ボランティアの育成もする。
文・写真 中和正彦
| |
運営は全員障害者元祖・障害者IT支援センターがいま見つめなおしていること
障害者同士だと、ヘンな遠慮をせずに話せるのはいいのですが、なかにはそれがキツく響いて、ヘコんでしまう利用者の方もいるんですよね」
群馬県障害者情報化支援センターの責任者、桜井和久さん(42歳)は、センター開設4周年を前に、障害者へのパソコン利用支援について語る。
2003年度以降、国の「新障害者プラン」により、都道府県や政令指定都市などで「障害者ITサポートセンター」の開設が相次いだが、群馬県の支援センターはそれに先立つ01年の開設。しかも、現在8人いる職員は全員が障害者。桜井さん自身も多発性硬化症という難病のために四肢が不自由で、車いすの身だ。
異例の施設とあって、後続のセンターから視察も相次いだ。成功の背景には、パソコンボランティア団体「パソボラ・サポート群馬」(PSG)の活動があった。
PSGは、在宅障害者への出張サポートやパソコン講習会を行うなかで、いくつかの問題にぶつかった。県内は広く、ボランティアが車で回ると負担が大きい。パソコンや障害に応じた支援機器の購入負担が非常に重い。講習会など支援活動の拠点になる場がない……。
一方、県は当時、障害者のIT利用支援策を模索していた。両者の話し合いから、重度障害者を対象にした「出張パソコン講習事業」と「パソコン等購入費補助事業」が生まれ、障害者IT支援センターの設置が決まった。そして、PSGが県から実際の出張講習とセンターの運営を受託して行うこととなった。
叱咤激励が逆効果に
なるケースも
センターの職員は、実はPSGの会員として出張サポートなどを行った経験のある人々だ。
桜井さんは病気を発症する前は会社員で、発症後も再就職したりSOHOで働いた経験がある。バイク事故によって17歳で両腕が不自由になった高田正さん(29歳)は、仕事を得るためにパソコンを始め、CADオペレーターとして働いた経験がある。原弘一さん(31歳)は先天的に骨がうまく形成されない難病のため、18歳までずっと肢体不自由児施設で過ごしたが、母親の勤める会社で働けることになったのがきっかけでパソコンを覚えた。土屋和義さん(38歳)は生まれつき全盲だが、盲学校卒業後に鍼灸院を開業して自立し、パソコンも早くから仕事で活用してきた。
ほかの職員たちも皆、障害も人生経験もさまざまで、いろいろな人を支援した経験を持つ。このことが、支援センター成功の原動力になってきた。
「パソコンを教えるうちに、障害にからんだ悩みごと相談になることも多いですし、長く通っている人はここを交流の場にしていますが、それはそれでいいと思っています。その方々が新しい利用者を連れてきてくれますから」と桜井さんは言う。
だが、利用者は変化し、職員たちは新たな課題を突き付けられてもいる。
「障害者の間にもパソコンがかなり普及して、やる人はもうやっている、やらない人はもうあきらめているという、二極化が顕著になりました。そして、利用者には中途で障害を負われた方の割合が増えました。その中には、まだ自分が障害者になったことを受け入れられないまま、自立の回復を急いでもがいている人も少なくありません」
パソコンを使えるようになりたい一心の人には叱咤激励になる言葉も、「どうせ自分は」というあきらめや「なんで自分は」という葛藤を抱える人には、逆効果になりかねない。
桜井さんたち職員はいま、障害者のパソコン利用をより便利にするための最新情報を提供できるよう努力しつつ、利用者への対応を声かけや言葉遣いのレベルから見つめなおしている。
|
|
|