司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ近江散歩※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1983年12月8日~10日 <どうにも近江が好きである。>司馬遼太郎は、その理由を民家のたたずまいや、近江門徒という精神的な土壌、風土から語る。かつて神崎郡金堂で作家・外村繁の生家を訪れたことに言及し、近江商人への関心を示す。関ケ原の不破関資料館に立ち寄った後、近江へ引き返し寝物語の里をめざす。中山道柏原宿でもぐさ屋「亀屋佐京家」に立ち寄り、近江人の商売の極意を考察。彦根城を見て、築城した井伊直勝と直孝父子、同朋衆の金阿弥を思う。翌日、姉川古戦場で浅井・朝倉と織田・徳川の合戦を思い描き、国友鍛冶の村で鉄砲伝来と信長との関係に思いを至す。中学の時に見た風景を期待して安土城趾山頂まで登るが、かつて見えた湖は消えていた。琵琶湖の埋め立てと日本の土地問題を考える。近江八幡市で水郷めぐりをしながら、琵琶湖に息づく生命のつづくことを祈りつつ旅を終える。
奈良散歩旅のルート【旅の時期】 1984年3月1日~3日 東大寺二月堂の修二会(お水取り)の行が始まった3月1日の午後、司馬さんは奈良を訪れた。須田画伯とともに境内を歩き、東大寺別当の上司海雲や写真家の入江泰吉、画家の杉本健吉など、東大寺ゆかりの人々を回想する。翌日は多武峰を訪れ、洋画家・六條篤を心に浮かべる。また、興福寺では阿修羅の美しさを愛で、五重塔をめぐる明治初期の廃仏毀釈について考える。さらに、東大寺二月堂のまわりを歩きながら、戦後まもなくの頃に修二会を参観した時の出来事を回想し、1000年以上も続いてきた修二会の"文化"について思いをはせる。 ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります
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