HOME / 街道をゆく / 第29巻 秋田県散歩・飛驒紀行 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ秋田県散歩旅のルート【旅の時期】 1986年6月26日~28日 古代以来<歴史がおだやかに流れつづけてきた>秋田県で、<"人間の蒸留酒"とおもわれるような>人々の生きた跡を訪ねた。まず戦友が住職を務める象潟の蚶満寺を訪ね、かつてこの地を訪れた文人たちや、景観を守るために立ちあがった19世紀の住職・覚林のことを考えた。秋田市では、漂泊の学者・菅江真澄の墓や、真澄が滞在した住居を訪れ、その生き方について考察、能代の「風の松原」では、防砂林を作るために尽くした佐竹藩士・栗田定之丞や能代の豪商を想う。そして大館、鹿角では、安藤昌益を発見した明治の特異な学者、狩野亨吉の生家跡や、彼によってアカデミズムの世界に進出した近代東洋史学の祖、内藤湖南の旧居などを訪ねた。 ※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります
飛驒紀行※「GoogleMapで見る」のルート表示の線は訪問地のポイントを結んだもので、実際の旅行ルートとは異なる場合があります 旅のルート【旅の時期】 1986年10月 <飛騨へは、ゆるゆるとゆくことにする。>岐阜羽島からタクシーに乗り、飛騨を目指す司馬さん。車中、『今昔物語集』の<飛騨の工>や『万葉集』に詠まれた<斐太の大黒>についてふれながら、<ひろやかな美濃平野の北方にあって、棚をなすような山国>という飛騨のイメージをふくらませる。飛騨一ノ宮の水無神社では、左甚五郎作と伝わる彫り物を見て、伝説の名工と飛騨の匠のことなどを考える。下呂温泉、松倉城趾、飛騨古川と回った司馬さんは、越中国(富山県)との国ざかいを見るために、神岡町の茂住まで北上する。そして、再び高山の市内を歩きながら、飛騨の美学を形作った大名・金森氏の遺風に思いをはせる。
この巻に登場する人物この巻の目次
|