発掘トーク
第1弾
対談っていうから、ゲストのつもりでいたのに、ボクはインタビュアーなんですか?(笑)。
こういう機会は二度とないと思うので、すいません。先輩をこき使って(笑)。
※けらさんと安倍さんは、早稲田大学漫画研究会の先輩後輩の間柄。
(けらの持参した生原稿を見ながら)このコマ割りでいくことにしたのって、なんでなの?
コマ割り考えるの、すごく苦手だから。もうやめようと(笑)。一度コレに決めてしまうと、元に戻せないので、決めるのにはだいぶ悩みましたけど。けっきょく1ページを八等分にした長方形で、3ページ23コマと決めちゃったことがよかった。
けらちゃんのマンガって、ひとコマたりとも無駄ゴマがないんだよね。推敲はするほうですか?
ものすごくします。一発ですっと描けることはないです。考えが、ぐちゃぐちゃしてて。
じゃあ、構成は上田さんがやるんですか?
※上田さんは、二人の漫研の先輩でもある、けらさんのオット。
そこが僕の手伝うところ。
構成は、上田がうまいです。私は、とにかくダラダラ描いちゃうほうで、長くなったり短くなったりしちゃうんだけど、上田にバトンタッチすると、切り貼りして整えてくれる。
『あたしンち』の一つの特徴は、構成のおもしろさだと思うんだけど。
それは、100%この人(上田)ですよ。
構成がおもしろい作品は、何回読んでもおもしろいんですよね。ネタだけじゃないから。
単行本にするときも、けっこう直します。
構成を?
そう、会話の場面に人が増えたりする(笑)。だって、連載は走りながら作るから、あとから見て「あーっ」てことないですか?
そりゃあるよ。いっぱいある。最近も『深夜食堂』の15巻で帯に描いたマスターの顔に傷を描くの忘れちゃった(苦笑)。自分も単行本で直すほうだけど、構成からやり直すことはないなあ。
けらちゃんは、高校生の頃には、もう描いてたんでしょ。
そうです。安倍さんも高校から漫研でしたよね。私は都立井草高校というところで、同期におのえりこさんと、『ハゲしいな!桜井くん』の高倉あつこさんがいました。1年生の時、おのさんが『別冊マーガレット』でデビューしてすごい盛り上がった。漫研じゃなかったですけど、上級生に新井素子さんがいて、やっぱり高校生で小説家デビューしてたんで、それにも興奮しました。
スゴイ高校だね(笑)。
おかげで「自分も早くプロにならなきゃ!」とか「メジャーに!」とかいうナゾのあせりが生まれて(笑)、必死で『別マ』に投稿しました。浪人から大学1年くらいまでは、少女漫画家志望だったんです。ところが、早稲田の漫研に入ったら『ガロ』系が主流で。そのギャップがショックで、早大漫研では1作も描けなかった。
その漫研で主流派だったのが、上田さんですからね。
みんなに尊敬されてたけど、あのころ上田が描いていた作品は、私にはちょっと難解過ぎて、よくわかんなかった。
(笑)。
ボクもふくめて、漫研にいわゆるメジャーな作品を描く人はほとんどいなかった。とにかく芸術性の高い作品をっていうね。
時代的には大友克洋、吾妻ひでお。いわゆるニューウェーブの時代かな。
安倍さんの高校生のころって、どうだったんですか?
1年生の時、漫研を自分たちで立ち上げて、部活に昇格させようと頑張ってたけど、高知の田舎だから、のどかなもんですよ。文化祭の目玉は、今は同人誌づくりなんだろうけど、うちは生原稿の展示。描いた原画を、ハリガネを張って、洗濯バサミで吊るして。
へえ。うちはかろうじて、オフセット誌つくってました。上田は、高校は、漫研じゃなくて美術部だったんだよね?
そう。でも、すっかり漫画家になるつもりで、時間稼ぎに大学へ行ったよね。真面目に受験勉強する気になれないんで、早稲田の漫研に入るのを目標にしてた。
うん。ボクもそうだった。
私は、逆に、大学に入ったら『ガロ』の洗礼を浴びて、プロ志向をやめてしまって、アルバイトにあけくれましたね。早大漫研はマンガ周辺のバイトがけっこう飛び込んできて、けっきょくそのころやってた雑誌のイラストが、いまの仕事につながりましたけど。
ボクはそういうの、本当に疎くて、漫研に来るバイトは、あまりやってなかったかな。
けらえいこ、開眼の時期っていうのはいつだったの?
やっぱり『セキララ結婚生活』かな。思えば私がマンガ描くようになったのって、授業中ノートに描いた落書きがきっかけだったんですよ。主人公は学校の先生で……学生の時は学校を描く、結婚したら結婚を描く。その時に自分がいる場所が、私にとっては一番面白いネタの宝庫なんだなって。
それが自分の本領だったんだねえ。
私、修学旅行の帰り、新幹線でみんなは爆睡してるのに、ひとりで泣いちゃったことがあって。あんなに楽しかったのに終わっちゃうんだっていう。
そういう気持ちは、僕も最近わかるようになった。
私、あの感じが、毎日あるんですよね……なんか、今日も終わっちゃう今日も終わっちゃう終わっちゃうって。それが、空しく流れていっちゃうのがいやで。だから、それを描くのかも。
ああ、あなたが結婚前にくれてた手紙とかね!
あれもそうか! 結婚前、上田のアパートに寄ってから帰ってたんですけど、ケータイとかない時代だし会えないことも多くて、留守だと置き手紙していくんですよ。
それ『あたしンち』に描いてましたね。
そう。そうめん勝手に茹でて食べた。冷たくておいしい、とか……でも、そういうのがなんともよくてね。
そういえば、最近、古い原稿を整理してたら、昔もらった手紙が出てきて。一通は、ボクのデビュー作が雑誌に載ったとき、お二人から感想の手紙をいただきました。もう一通は、まだボクがCMの制作会社に勤めていた頃で、けらちゃんが「おせっかいなようですが、一日も早く行動を起こした方がいいですよ」と。
すいません、ナマイキで(笑)。恥ずかしい!
この手紙は、ボクの新しいエッセイ本(『なんちゃあない話』)に収録させていただきました。当時のボクは、仕事の合間に時間を見つけては、自伝マンガの習作を描いていたんですが、そのコピーをけらちゃんに送ったら、その手紙をくれて。それには、すごく励まされましたよ。
あの自伝マンガのコピーは、今も大事にとってありますよ! 習作ったって、数百ページもあって、アマチュアの作品とは思えない完成度とボリュームで「これすごい! このまま単行本になるのに!」と思った。
ボクが『山本耳かき店』でデビューするのが41歳の時だから、けっきょく10年近くかかりましたけどね。
なんで、これだけのマンガを描きながら会社員をやってるんだろうって、他人ごとながらあせっちゃって、おせっかいの手紙を送りつけた。それにしても、安倍さんは、〆切りもないのに、よくマンガを続けられましたね。
それは仕事がイヤだったからですよ。
え、楽しそうでしたけど。おむつのCMを作ったりしていましたよね。
※安倍さんの前職は、CMの映像ディレクター。
いやいや、CMの仕事は楽しむもんじゃないですから。
マンガを描くことだって、苦しいことなのに。あと、マンガはプロとして書くことで上達すると思ってたから。でも、安倍さんは趣味で描いてて、どんどん上手くなっていった。
緊張感を持ってやってたんでしょうね。
ああそうか。
あ、そういえば最近、ボク、なんでデビューが遅かったのか、わかったんですけど……(笑)。
なんでですか!?
ふつうマンガ家っていうものは、青春と成長を描くのが基本なんです。
あー。
けど、ボクはそれを描く人ではないので。
なるほど。だから大人になってからが、作家としても本番だったんだ。
『あたしンち』のキャラも誰も成長しないよね。だって、成長したら、せっかく作ったキャラが変わっちゃうし(笑)。みかんが告白して玉砕したりしたら、苦労して作った設定が変わってしまう(笑)。私、物語が進んでいくってことに、興味がないのかもしれない。キャラがそのキャラらしければ、それで十分。
『あたしンち』を読んでいると、この人にはモデルがいるのかな、って人が何人かいるんですが……たとえば、吉岡やしみちゃん。
ああ、モデルいます。だいたいのキャラには、モデルっぽい人がいて、でも、それは単純な理由なんです。いちばん最初、新聞社から依頼があったのが、〆切りの3カ月前だったので、時間なくて、人物相関図がちゃんと作れなかったんですよ。人間関係って陰陽の世界で、ハデな人と地味な人が相性良かったりする。けっこう複雑にからみ合ってるので、人工的にチャチなものを作ってもリアルにならない。なので、いっそと思って自分の周りをそのまま描くことにしたんですよ。だから、リアルですよ(笑)。
なるほどねー。
じゃあ『あたしンち』と『深夜食堂』は、両方なにも起きないマンガなのかな?
いや『深夜食堂』は、事件が起きるほうのマンガ。それぞれのお客さんに人生上1回しかないような重大事が起こって、それをマスターが見ているっていう話……この描き方は、発明だよねー。
どのへんが?
だって、腰から上しか描かなくていいんだよ(笑)。マスターの視点に感情移入するから、他人ごととしての距離をキープしてドラマが見られるし……あの食堂には、マンガの舞台として、一石何鳥もの効果があるんじゃないかな。
映像化しやすいとかね(笑)。
(笑)。そういう自分が力を発揮できる場所を見つけることはだいじですよね。
そう。けらちゃんもボクも、この世界に自分が座る自分だけの椅子を作ったわけですよ。
安倍さんの自伝マンガ『生まれたときから下手くそ』は、この間ついに単行本になったけど、これは『深夜食堂』をしのぐくらいの代表作になるって確信しています。
『あたしンち』は、最初のころはパワフルなお母さんのキャラで持ってたりしたけど、長い連載の中で、実はかなり高度なことをやってるよね。
え? たとえばどういう?
13巻の花見の話とか。お母さんが花見だからって全身ピンクの服を着てくるまではわかる、でもそこから春、夏、冬のことを想像するとか高度じゃないですか。
え~、あれは高度っていうより、苦しまぎれ?(笑)。
いや繊細だよ。ボクも自分で描いてて思うけど、すんなり描けた作品には、そりゃ瞬発力の面白さがあるけど、苦労した作品も案外悪くないなって。むしろ無理にオチをつけない方がいい。つまんないオチをつけると再読に耐えられなくなる。
なるほど。
ボクは、お父さんが好きなんだけど、お父さんって、せりふがない喜劇人って感じがするよね。
うん、実物もそんなカンジです。でも無口なのでこわい。「お父さんは何が楽しくて生きてるの?」って聞かれて「野球」って答える話があって、あれは上田が考えたんですけど、あれもカンジ出てた。ああいう男の人ならではのリアリティってありますよね。
あれは僕の悟りです(笑)。人間、1年とかの単位で言えば、すごくつまらないことのために生きてたりするなあっていう。
そういうリアリティがだいじだから、だいたい男の人の話は上田、女の人の話は私が考えてる。
ボクが一番好きなのは3巻の新しいドリッパーの話。ネタといいコマの構成といい、完璧だよね。
ありがとうございます。あれは私の両親の実話で。自分は、この話を描いたら、読者がみんなマネしてドリッパーを割るだろうと思ってたけど、誰もマネしなかったという……。
みかんが宮嶋先生のところに遊びに行って、本棚のところにあったネジに気づく話。あれも、ものすごくわかるんですよ(笑)。
あれは、うち二人ともお気に入り(笑)。
なんでよりによってそんなしょうもないことが、気になるんだっていうね(笑)。
あれも実話なんですよね~。
何年か前、けらちゃんに「安倍さんはまだマンガ家年齢が若いから」って言われて。
すいません、失礼なことばっかり言って。
いや、最近になって、やっとその意味がよくわかるんですよ。マンガ家年齢が若いってことは、まだやってないことが多いから。
ネタがなくなると、困って前描かなかったような話も無理に描くようになって。そうすると、つぎつぎ描けることが増えていきますよね。さっきの修学旅行の続きですけど、そのときじつは、新大阪駅のホームに、阪神の掛布がいたんですよね(笑)。当然、生徒たちは大騒ぎになって。私も一緒に写真におさまって撮ってもらったの。
なんですか、その思い出は(笑)。
でも、そういう思い出はマンガにならない(笑)。このことは、自分にとってダイヤモンドみたいな思い出なんだけど、そういう大物の下にも、こなごなの小さな、メレダイヤみたいなものが埋まっていて、そっちのほうが、私のマンガになります。
帰りの新幹線がさびしかったとかね。
振り向いたら、すごい顔で寝てる人がいた、とか(笑)。そういう、こなごなのツブツブの思い出を、毎日拾ってるんですよ。だって、ダイヤだから。
なるほどねえ。
私は『あたしンち』を描いてる20年、まさに自分の思い出を掘っていく作業をしてたんだなって。それは「なんでもない日常」なんて呼ばれ方をされてしまうけど、私のなかでは、そんなんじゃないんです。毎日、毎日、いろんなことが起きては過ぎていくじゃないですか。それ、ひとつひとつ拾い集めて並べると、人生だなーって(笑)。小さくて粉々だけど、メレダイヤなのでね、集めてみると、すごくきれいですよ。生まれてきてから死ぬまで、毎日起きてる小さなできごとが、私にとっては宝物なんです。
(インタビュー構成:瀧晴巳)
安倍夜郎高知県生まれ。2004年『山本耳かき店』でデビュー。2006年からスタートした『深夜食堂』は現在もビッグコミックオリジナルで連載中で、単行本は28集まで発売中(最新刊29集は11月28日頃に発売予定)。2010年に同作で第55回小学館漫画賞、第39回日本漫画家協会賞大賞を受賞。