発掘トーク
第2弾
うちはほとんど隠し事もない、さらけ出し親子だから、今さらお母さんに聞きたいことってないねえ。お母さんって、もの考えないタイプだよね。何か思ってても言葉にできない。動物、猪か何かみたいな(笑)。
そうねえ。考えずに突っ走って、何かにぶち当たって「ああ」と思う感じね。やっぱり、猪がぴったりかもね。
ふっくらとしたお母さんの弘子さんは、エプロンに毛糸の室内履きで登場。日本の良き母の代表という印象。「お母さん、もっときれいな格好してよ」と言う娘に「いいじゃない、あるがままで」と言いつつ、エプロンを取り替えさせられた。
お父さんもお母さんも大分県の農家の子で、まるっきりの田舎者(笑)。野心とかがあって東京に出てきたんじゃないのよね。
お父さんが自衛官になって、転勤で東京に来ちゃったの。
二人とも堅実そのもので、世の中で一番真っ当な生き方は公務員になることだと信じ切ってたから、私はちっちゃいときから、学校の先生か役所か自衛隊に入れって言われてたね(笑)。あと、お父さんが自衛隊の衛生隊だったからか、看護婦とか。二人ともそれ以外の仕事は全部水商売だと思ってたでしょ。
そう思ってたわねえ。
私が絵を描いたりすると、怒られたもんね。
美大に行くと言われたときもすごく怒ったわね。漫画家っていうのも水商売としか思えなかったもん。今は、いろいろ言われるから、そうでもないけど。
私が読売新聞に連載を始めて、やっとうちの子もヤクザじゃないって思ったんでしょう。権威に弱いよね。
お父さんはいまだに認めてないわね。
お父さんだって、活字になるとちょっと嬉しいタイプよ。ただ「親なんて関係ないじゃん」っていう人はたくさんいるけど、どうも私はお母さんに分かってもらえるやり方で、自分の好きなことをやりたいという志向があるから、親孝行だなぁーって自分で思うよ。
そーお。
私はお母さんが思っていること、ほとんど知ってるね。お父さんとか弟の登には隠してても、私には「内緒だけど」って、ちょろっと言ってくれたから。
さらけ出しちゃうね。
貯金の話とかね。お父さんに内緒で、すっごい巨額のヘソクリ持ってた。2000万円とか(笑)。
別に隠してるんじゃないのよ。
よく言うよ!(笑)
お父さんのお金で普通に暮らせてたけど、私は質素というか、地味でしょう。だから、内職をしたり、パートに行ったりしてもらったお金は全然使わないで貯金してたの。
お母さん、もう、すごい働いてた。すごかったよね。私が何歳のときパートを始めたの?
最初に始めたのは、あなたが生まれて6カ月ぐらいから。内職で、紳士服の裏をまつったり、ボタンつけしたり。私は並のことしかできないから、人より少しでも余裕を持ちたければ、人の倍やらなきゃダメだって思ってたの。お父さんが先に死ぬかもしれないし、二人の子どもを大学までやるためにはどうしても余裕を持ちたいと。「ああ、あとこれだけお金があればよかったのに」と後悔しないように、夜も寝ないで働いたわね。
お母さんがボロをまとって死にものぐるいで働いて、子どもにも、うちは貧乏なんだと言い聞かせながら暮らしてたでしょ。その頃はお金のこととか分からないから納得してたんだけど。私が小さいとき、近所のおばさんから、写真撮るから自分のお人形持ってきなさいって言われたとき、私だけリカちゃん人形じゃない、安いお人形持ってるんだもん(笑)。
アハハ。
ただ、内職してた頃はまだほのぼのした風景だったからよかったんだけど、そのうち工場へ働きに行ったでしょう。私はあれがいやだった。
工場でお昼ぐらいまで、電気とか車の部品なんか作って、帰りに内職もらって、家でやって。
それで工場で指に大ケガしたじゃない。その頃私は薄々うちにお金がないわけじゃないって分かってたから、指切っちゃうような仕事やめて欲しいなあと思った。お母さんが何のために働いているのか分からなくなっちゃって……。お母さんは老後のためとか私達を大学に行かせるためにとか言うけど、そうじゃなくて何かお母さんの心の中に陥没した穴があって、それを埋めるためにやってるだけじゃないかって思うようになった。それで、ずいぶん喧嘩したね。
そうだったかねえ。
そうまでして働く意味はまったくないってお母さんに対してものすごく反発した。中学から大学出るまで、仲は悪くなかったけど、心の中ではお母さんの生き方は間違っているって、すごい反発心があったの。
そんなに反発してたなんて、あんまり感じてなかったわ。言うこときかないと、私はその場で怒るだけで、ずーっと持ち越しはしないから、子どももそんなに長く何かを持ってるなんて全然感じなかった。その場、その場でパッと言ったらそれでお終い。
だから、もどかしい。お母さん本人はすごく好きだし、甘えているんだけど、お母さんの要領の悪さがもどかしくてもどかしくて。で、私はそういうところから超越したところで働きたいって気持ちがあって漫画家になったんだと思う。だから、お母さんの指切り事件は、私が漫画家になる最初の芽になったかもね。
そうかねえ。
お母さんの右手の中指は先が1㎝欠けている。そのケガをきっかけに、けらさんはお母さんに反発したと言い、批判的な言葉を繰り返すけれど、根はお母さんの体が心配だった から。それが分かっているせいかお母さんは娘の言葉にまったく動じない。
それに、お母さん、厳しかったでしょ。小学校3年ぐらいまでは、言うこときかないと、お父さんにぶっ叩かれたり、紐でぐるぐる巻きにされてベランダに出されたりして怒られたけど(笑)。お父さんはその後優しくなって、今度はお母さんに怒られるようになった。
私が怒るようになったのは中学生ぐらいになって、だんだん帰りが遅くなってからね。女の子だから心配だったのよ。
夜遅く家に帰ったら、お風呂から裸でダーッと出てきて、いきなり洗面器でバコーンと殴られて、「何やってんのー!」(笑)。素っ裸で、すんごい迫力。
でも、わりと性格が素直だったわね。怒られたらコソコソすればいいのに、悠々と男の子を連れてきてたじゃない。だから、露骨に言うと、この子、馬鹿なんじゃないかって思ってたのよ(笑)。
アハハ。怖かったよ、お母さんって。どれだけ、エネルギーがあり余っているんだろうと。
エネルギーなんか余ってなかったよ。あの当時はパート行ってて、あんたを待って寝不足で、そのまま仕事に行くんだから大変だった。やっぱり心配だからよ。女の子は傷物になっちゃいけないというのが常にありますからね。
でも、私が24歳の若さで結婚した原因は、お母さんのせいだね。彼のうちに泊まりに行けないし、二人で甘い時間を過ごして、さて11時になったから帰りましょと思っても、帰りたくないわけ。帰ったら“裸でバコーン”だもん。
そういうことしてるんなら、結婚しなさいとはっきり言ったわね。遊びじゃ困るって。
だから、私、自分のほうから彼に結婚したいって言ったの。最初、旦那が結婚するのをすごい嫌がったんだけど、その理由の一つは「母親から逃げるためだったら、俺は嫌だ」っていうのがあったみたい。私は必死で「違う、違う」って言ったんだけど、大変だったんだよ、彼を説得するの(笑)。
結果がよけりゃいいじゃない。
これだもん(笑)。私は結婚以外でもっとハッピーに家を出ることを望んでいたんだけど、一人暮らしをしたいなんて言うと、またすごいエネルギーで怒るし……。
親が都内にいながら、家を出るなんて不良だと思うわ。そういうことはするもんじゃない。
旦那を説得して結婚できたからよかったけど、できなかったら、お母さんとのハッピーな別れ方って考えられなかった。今、振り返ると危ない橋だったな。うまい形で親の家から出られたから、私は今、漫画を描いていられる気がする。結婚して、「ああ、もう家のことは片づいた、やれやれ」ってなって、すごく解放された気持ちで、先の分からない漫画描きって危ない船に乗れたのがよかったんだろうな。
そう言われても、お母さんはピンとこない。えいこさんは、したいことをする人だから。
そう?
あなたが漫画家になる前にスーパーで、お客さんの似顔絵描くアルバイトをしたでしょ。お母さんは見に行って、可哀そうだなあって思ったのよ。子どもにそんな苦労をさせたくないために私は一生懸命働いたのに、人前であんなことしてって、ちょっと情けなかった。
情けないと思われてたのか(笑)。私は苦労しないと、船が上手に漕げなくなるのが分かってたから。
それも分かっているんだけど、目の前で苦労してるのを見るとねえ……。普通の親なら「苦労しなさい」って言うのかもしれないけど、私は自分で苦労するのはいいんだけど、自分の周りの人には苦労させたくないのよ。
お母さんは奉仕の精神が強いのよね。それに、何かあったらってことに備えてお金を貯め続けてきたけど、56歳になって、「何か」なんてことなかったことに気がついたでしょ。やっと人生を楽しむ気になったみたいだけど。
今は楽しんでおります。旅行も年中行くし、書道もやってるし。
でも、私がパートをやめてって言わなければ、きっとまだ働いてたわよ。
そうね。
もう貯金はいい加減にして、これからは使ってください(笑)。