冷泉家(れいぜいけ)には、巻頭の2、3丁だけが定家様(ていかよう)、つまり歌聖とあがめられた藤原定家に似せた筆跡で認(したた)められた、鎌倉時代書写本の一群が伝っています。これらは定家の書写本を見ることができなかった他家でつくられ、のちの時代に同家に入ったものと考えられています。時雨亭叢書の刊行につれて、従来一般的なテキストとして用いられてきた宮内省書陵部蔵のいわゆる御所本など、少なくない本の親本が、擬定家本であることがわかってきました。本巻と、次回配本の「擬定家本 続々」の刊行で、その全容が明らかになります。