常に動き続ける遊撃的な作家が、2008年から2013年まで朝日新聞本紙に毎月書いてきた名コラムの単行本化。
土地の名や戦争の名はどのようにつけられるか。
ミュージカル映画「キャバレー」の一場面で、その老人はなぜ歌わないのか。
私たちはデジタル化によって、またテクノロジーの発展によって何を失ったのか。
連載開始の3年後にやって来た3.11の震災と原発崩壊。はじめはみんな泣いた。作家は仙台に住む高齢の叔母夫婦のもとへかけつけ、被災地に幾度となく足を運び、考え続けた。天災は避けられないが人災は避けることができる。核エネルギーは原理的に人間の手におえるものではない。原発が生み出す放射性物質を永久に保管するのは不可能だ。東電の言動は、かつての水俣のチッソの言動と重なっていないか。戦後の日本は原発を経済繁栄の道具としてきたけれど、それは「間違いだらけの電力選び」だった。
その一方、東北にはこれからの日本を照らす人々がいる。たとえば、悲惨な思いをしてきた人々が集まって一緒に何かをするための陸前高田の「みんなの家」造りに関わった現地の人。あるいは平日は勤めながら、週末は、無人家屋の泥出しや放置された納屋の整備、土木や電気工事など、肉体系のボランティアに当てる女性たち。使命感や義務感を言わず、高邁な理想や隣人愛などを理由にすることもなくさりげなく黙って働く人々。彼らもまた日本の「人的埋蔵資源」なのではないか。
原子力、沖縄、水俣、イラク戦争の問題を長年問い続け、東北の被災地に立って深い思索を重ねた作家の、廉直な名コラム48本。