第二次世界大戦直後の原子力発電の草創期のアメリカでは、原発の燃料としてウランとトリウムが競っていた時期があった。トリウム陣営の中心はA・ワインバーグ率いるオークリッジ国立研究所。トリウム原子力には、資源量が多い、放射性廃棄物が少ない、炉の安全度が高い、など数多くの長所があったが、この競争は軍主導により、潜水艦を動かし核弾頭用プルトニウムも生み出せるウラン原子炉が勝利して戦後の原子力利用体制が決められた。
その後、トリウム原子炉は表舞台から姿を消したが、伏流水のように生き続け、今、ウラン原発の行き詰まりとともに中国、インド、アメリカ、日本など各国で復活の動きが見られる。
トリウム原発の秘められた歴史と世界の開発の現状を米ジャーナリストが報告する。