幕末の激動の中から明治日本が生まれる過程で、長崎、横浜、東京などで次々に新聞が生まれた。読者も少なく、活字も販路も取材網もなく、手書きのものもあった。本書は草創期の新聞の苦闘とそこに見られたたジャーナリズム精神の萌芽を9人の新聞人の生涯を通じて描く。
ジョセフ・ヒコ(第1章)は、漂流民として数奇な人生を送り、横浜で「海外新聞」を発行した。W・A・ハンサード(第2章)は、長崎で初めて本格的な英字新聞を発行した英人。柳川春三(第3章)は、幕府洋学派のリーダーで「中外新聞」を創刊した。福地源一郎(第4章)は、「江湖新聞」で初の筆禍事件の後、「東京日日新聞」で新聞史に大きな足跡を残す。岸田吟香(第5章)は、ジョセフ・ヒコと「海外新聞」で協力し、維新後は「東京日日」で記者として活躍する。J・R・ブラック(第6章)は、英字新聞を発行後、念願の日本語日刊新聞「日新新事誌」を出すが政府の罠に。この他、遣欧使節としてフランスの新聞を見て新聞の必要性を幕府に進言した池田長発、新政府に出仕せず「朝野新聞」で活躍した幕閣・成島柳北、「横浜毎日新聞」創刊にかかわり活字鋳造に貢献した本木昌造の生涯もあわせて紹介している。
出自、個性、文章、めざしたものもさまざまだったが、各人の挑戦、苦労、挫折の全体が、近代国家に不可欠な、報道と言論の舞台としての新聞というニューメディアを育てていった。ジャーナリズムを育てた新聞という媒体には、誕生時から、政府の干渉、党派的報道、販売競争など今日に通じる問題も見られる。その歴史は、今、新聞・テレビの時代を経てネット時代を迎え、ジャーナリズムが変貌をとげようとしている。その針路を考える上で先人たちの歴史は示唆に富んでいる。