律令制とは徹底した文書管理によって中央集権体制を維持するシステムである。
八世紀半ばには、この駅路の逓送システムが整備されたことによって、中央の命令下達の文書が地方に行き渡り、謀反、東国の蝦夷反乱、飢饉や疫病などの危機情報や地方の状況がすみやかに中央政府に報告され、確実な地方支配が可能になった。
逓送はどのように行われ、駅家はどこに設置されたのか。七道駅路はどう構築されたのか。記録類や出土資料、文学を含めた古代の史料に断片的に現れる駅、駅家、駅家郷を丹念に拾い、その設置と実態を探る。また近年の発掘調査から具体的に見えてきた駅路の敷設工法、駅家の構造など、日本的な駅路の特色を浮き彫りにする。
九世紀初め、駅子の逃亡などで逓送システムは崩壊し、駅路は荒廃する。その後、地方は有力寺社や豪族が分権支配し、都では天皇への内奏で政策が決定される貴族政治が展開する。官僚制による統治システムは早々に破綻し、古代の中央集権体制は長く続かなかった。その過程を駅路を通して読み解く。