たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。
そこから「近代」によって異域に押しだされた
水俣病の患者たちとの連帯が生まれたのだろう。――池澤夏樹
名作『苦海浄土』で水俣病を告発し世界文学に昇華した著者が、ホームで闘病しながら語った、水俣・不知火海の風景の記憶と幻視の光景。朝日新聞に3年にわたり連載されたエッセイを収録した最晩年の肉声。写真家・芥川仁氏による写真多数収録。
「海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。
水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが、「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。(本文「原初の渚」より)」
[目次]
少年
会社運動会
湯船温泉
避病院
石の物語
アコウの蟹の子
水におぼれた記憶
紅太郎人形
雲の上の蛙
海底の道
お手玉唄
大雨乞と沖の宮
魂の遠ざれき
何かいる
熊本地震
ぼんぼんしゃらどの
花結び
原初の歌
あの世からのまなざし
女の手仕事
わが家にビートルズ
天の田植え
椿の蜜
石の神様
流浪の唄声
黒糖への信仰
原初の渚
なごりが原
食べごしらえ
明け方の夢
石牟礼道子(いしむれ・みちこ)
1927年3月11日、熊本県天草郡宮野河内(現・天草市)生まれ。まもなく水俣町へ移る。水俣実務学校卒業後、小学校代用教員を経て結婚。家事の傍ら詩歌を作りはじめ、58年、谷川雁らが結成した「サークル村」に参加、本格的に文学活動を開始。
69年に『苦海浄土 わが水俣病』を刊行、70年に同作が第一回大宅壮一賞に選ばれるものの、受賞辞退。73年、マグサイサイ賞受賞。93年、『十六夜橋』で紫式部文学賞受賞。2002年、朝日賞受賞、また新作能「不知火」上演。03年『はにかみの国――石牟礼道子全詩集』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。04年『石牟礼道子全集 不知火』刊行開始、また『苦海浄土』第2部「神々の村」、第3部「天の魚」を改稿し、三部作が完結。
2018年2月10日、熊本市にて逝去。享年90。