ナンシー関に“賞味期限”はない
特定の時代のテレビが作り出す空気について書いているのに、
それが半永久的な説得力を持つという摩訶不思議。
2002年、39歳で急逝した消しゴム版画家・ナンシー関。
その言葉は今なお、テレビの中に漂う違和感に答え続けてくれる。
彼女の大ファンで、日常の違和感を小気味よい筆致であぶり出す武田砂鉄氏が
『週刊朝日』の伝説的コラム「小耳にはさもう」から選び抜いた
ベスト・オブ・ベスト!
連載462回分のハンコも壮観です。
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ナンシー関のコラムって、ノスタルジーにはなりえない。多くの登場人物が今の芸能界でもそれなりの位置を保持しているから、という理由だけではない。今、どんな事案であろうとも、芸能スキャンダルは瞬く間に消費され、片っ端から忘れ去られていく。ひとつの芸能ネタをじっくり吟味するよりも、思いっきり叩いて消費するか、事務所などに忖度して最低限の報道で済ますか、そのいずれかだ。週刊誌が出る頃には、その議題がすっかり古びている、なんて場合も少なくない。ナンシー関は、読者に対して、「それでいいのか。後悔はしないのか」と考える時間を与えた上で、当人だけではなく、無意識に整ってしまう世間の見解を、もう一度疑った。その手つきは、テレビの中の存在からすれば緊張感を与えるものだっただろう。見張られている感覚は、番組の質感や、芸能人の振る舞いに直結していたと思う。
(武田砂鉄 解説「私たちの大切な公文書」より)
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