穴山勝堂は、松岡映丘を師として花開いた大和絵画家。図画教師として奉職しながら、27歳で師に入門した遅咲きの日本画家である。映丘師のもと新興大和絵会創設に参加し、精力的に出品。新興大和絵会解散後に帝展出品を決意、初出品作「夕映えの松」が皇室お買い上げとなる。帝展推薦となったことで教師を退職。映丘師没後は日本画院創立同人となる。戦時下、東京から故郷の山梨に疎開し、東京に戻ることはなかった。80歳で叙勲、富士を描きながら81歳で生涯を閉じた画家の祖父の姿を、数々の資料とその手記を読み解きまとめた評伝。山梨県立美術館所蔵作品収載。