落語の殿堂に、1年間全部見た!
落語協会百周年、桂歌丸追善、七代目円楽襲名……
隅から隅まで味わい尽くす
●まえがきより
本書は、2025年9月から2026年8月まで、僕が東京の寄席定席「新宿末広亭」の1年間73番組のすべてを客席で鑑賞するという、汗と涙と暇つぶしの記録である。
見方によっては快挙とも暴挙とも言える行為を、僕は「定点観測」と名付けた。
なぜこんなことを始めてしまったのか。
お話は今から26年前、1999年5月に遡る。当時新聞記者だった僕は、新宿末広亭で1年間の「定点観測」を始めた。誰に頼まれたわけではない。子供の頃からの演芸好きが高じて、辛い時、楽しい時、仕事に行き詰まった時、たまにはいっぱい飲みたいと思った時(僕は下戸だ!)に、ぶらりと木戸をくぐった寄席という悪所(?)を、隅から隅まで味わい尽くしたいと、厄年を何年か過ぎた良い大人が、大人気なくも思いついてしまったのだ。
では、どうすれば寄席を味わい尽くせるのか。新宿の飲み屋街の真っ只中でただ一軒、江戸以来の演芸の伝統を伝える末広亭は、10日ごとにプログラムが替わる。昼の部と夜の部があるから、1か月で6番組。1月だけは3部構成なので、合計すれば1年間で73番組だ。僕はこれを全部見てやろうと考えた。それが「寄席の定点観測」である。
それは壮大な計画だったが、裏を返せば暴挙でしかない。
「どうせ無理だろうが、できる限り続けて、途切れたら潔くやめよう」
そういう気持ちで始めたら、これが楽しくて仕方がない。「定点観測=同じ場所を続けてみる」を始めたら、今まで見えなかった、あるいは見ようともしなかった寄席のあれやこれやが、見えてきた。
だが、1年間は長かった。仕事が忙しくて寄席に行けない。翌日には番組が変わってしまうという十日目の公演に駆け込むのは一度や二度ではなかった。ついに僕は心筋梗塞に倒れてしまう……。
心身ともにボロボロになりながらも、何とかゴールまで走り抜けた。そんな僕の姿に呆れながら、ある出版社が声をかけてくれた。
「『定点観測』というにはツッコミどころが多いけど、1年間に及ぶ寄席ファンの孤軍奮闘の記録として、読む価値はあると思います」
こんな言葉に勇気づけられて、2000年の暮れ、僕が書いた初めての演芸本「新宿末広亭 春夏秋冬『定点観測』」が出版されたのである。
演芸研究家として名高い山本進氏に、拙著を読んだ感想を聞いた。
「貴重な演芸のフィールドワークだと思う。この本は50年経ったら評価されるよ」
これ、褒めてくれたのだろうか……? でも50年後では、僕も仲間も誰もこの世にいないだろうなあ。そんなことを思いながら月日を重ね、2025年の秋になって、あの『定点観測』から25年経ったことに気がついた。
「50年は無理だから、その半分の25年目に『定点観測』に再挑戦しよう!」
思った翌月にはもう、末広亭の木戸をくぐっていた。会社はリタイアしてフリーの物書きになっていかたら、日程調整は25年前よりははるかに楽だった。1年ではなく、2年ぐらいできるのでは……と考えたのが甘かった。前回は40代半ばだったが、今回は古希を過ぎたばかり。お世辞にも安楽とは言えない寄席の座席に毎回4時間ほど座り続け、それがひと月に6回繰り返される。さらにそれが12ヶ月……。25年の差は如実に体力に表れた。1年間、本当にくたびれた。
(略)
さあ、ともに寄席の木戸をくぐって、演芸の国へ!
●目次より
目次から見出しをいくつかご紹介します。
10月中席夜の部 ボンボンブラザースはなぜ舞台で喋らないのか?
12月中席夜の部 伯山トリを盛り上げる、落語講談浪曲の腕利きたち
1月初席第二部 演芸好きは正月寄席に行きたいのか、行きたくないのか? その真実に迫る
3月上席昼の部 桂米丸追善興行 豪華過ぎる追善、遠い空の米丸に届くか?
3月下席昼の部 芸協の「秘密兵器」と「掘り出し物」とは?
4月上席夜の部 新真打・鶴枝の評判がいい! その高座の出来は?
5月中席昼の部 番組表に名前が出ない「寄席のスーパースター」とは?
5月中席夜の部 末広亭の「最上等の席」はどこか?
8月中席夜の部 小痴楽はなぜいきなり高座で謝ったのか
●著者 長井好弘(ながいよしひろ)
1955年東京都生まれ。演芸評論家。1979年読売新聞社入社。編集局文化部、編集委員、日曜版編集長、落語会「よみらくご」企画監修などを務め、2020年退社。現在は日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)、文化庁芸術祭審査員などを務めている。著書に『雲助おぼえ帳』(朝日新聞出版、五街道雲助と共著)、『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』(アスペクト)など。