大学時代、日本語を学びたい一心で米海軍通訳士となり日本兵の遺した日記を訳し、尋問する日本人捕虜と友となる。戦後、日本文学研究者として日米を往復しながら、京の市井のぽっくりの音や蛙の声に古き日本を聞き取り、三島由紀夫、永井道雄ら当代の文豪・知識人に新鮮な刺激を受けた若き日々――。ただ一途に日本文学、日本文化を追究し、屈指のジャパノロジストへ至るまでの稀有の道程の前半生を綴る。息子のキーン誠己氏が解説を寄せる。
(目次)
I 太平洋戦争のなかで
最初の日本語は「サクランボ」 角田柳作先生 海軍日本語学校 日本人兵士の日記 アッツ島・キスカ島作戦 日本人の捕虜たち 特攻機に遭遇 沖縄本島に上陸 捕虜・木村中尉の結婚式 「部下」のジロウのこと 原爆投下と終戦 中国の青島へ 戦犯調査の任務 バンザイ・アタック論争 焼け野原の東京 母へのみやげ
II あこがれの日本
戦争が与えてくれた贈り物 コロンビア大学に復学 日本学者への道 ハーヴァード大学へ「遍参」 ライシャワー教授のこと ヨーロッパへの旅 ケンブリッジでの暮らし ディキンズ夫人 バートランド・ラッセル卿 作家フォースターとオペラ お手本アーサー・ウェイリー 日本語と朝鮮語の教師に 日本文学についての連続講義 日本行きの奨学金 目的の地、京都に直行 日本式生活 「日本文学選集」の編纂 書と狂言を習う 永井道雄との出会い よき時代の京都 伊勢式年遷宮 嶋中鵬二を訪問 三島由紀夫のこと 著作と講演の楽しみ 日本を去る
III アメリカと日本と
コロンビア大学の教師生活 ペンクラブ東京大会 グレタ・ガルボをエスコート 日本古典の翻訳 東京の作家たち 『熊野』の稽古 東南アジアの旅 ウエーリとベリルとの別れ 母の死 六〇年代の仕事と旅 「日本文学史」 日米での二つの生活 三島由紀夫の自決 趣味に合った幸運