17世紀の画壇を率いた巨匠、狩野探幽。名門画家の家に生まれ天才少年ともてはやされ、やがて徳川家康以下四将軍の御用をつとめ、後水尾天皇はじめ宮廷人に愛され、73歳で亡くなるまで精力的な活動を続けた。
探幽は、徳川政権下に求められる「新しい絵」を提供した革新的な画家である。淡い墨や色がモチーフの微妙なニュアンスを描き出し、広い余白がモチーフを包む大気となって絵の外へと続く探幽様式に、当時の人々は魅せられていった。この新しさは、幼少期から貴顕の間で教養を磨き、時代の嗜好や顧客の要求に敏感に対応できるアンテナを鍛えてこそ生み出された。探幽の画業は、同時代の政治や文化と密着して展開していた。将軍、天皇はもとより稲葉正則、江月宗玩、林羅山、小堀遠州といった当時の大物政治家、文化人との交際、協働が探幽の活動の基盤になった。つまり、探幽という画家とその作品は17世紀の政治と文化を知る重要な窓口の一つといえる。
探幽は生まれたときから巨匠だったわけではない。本書は探幽という巨匠の誕生を、画才、社交、組織の三つの面から考える。他の画家と比較することでその様式の魅力を明かにし、パトロンや文化人との社交のなかに画業の充実と社会的栄達を得る姿をみ、弟子や工房をまとめる組織の長としての活動も知る。探幽が巨匠となり得た秘密を、言葉をつくし図版を駆使して語る。