●災害・事故・別離等、「ひとり」に耐えて生き抜く力の源とは。
宗教学の泰斗が現場と対話を重ねながら、宗教、物語、悲嘆と望郷の「うた」を歴史的文脈で捉えなおす。グリーフケアの待望の基本図書。
フロイト「喪の仕事」、内村鑑三の悲嘆文学、柳田國男の『先祖の話』、こうの史代『この世界の片隅に』・・・・・・。
喪失による悲嘆は、人生の意味が問われる大きな経験だ。私にとってもそうだった。アカデミックな場以上に、悲嘆を抱える方々、また悲しむ者に寄り添おうとする方々とともに学び、考えてきたことが大きい。(著者「あとがき」)
●超高齢社会で大切な人を喪失する悲嘆は身近である。災害や事故による非業の死に向き合ってきた日本人。現代の孤独な個々人は、どのように生きる力をよびさますグリーフワークを行えばよいのか。フロイト、ボウルビィ、エリクソンの医療や心理学での喪失の理論をたどり、近代日本の内村鑑三の『基督信徒のなぐさめ』に悲嘆文学の先駆性、柳田國男の『先祖の話』での家と霊魂、戦争による悲嘆の分かち合いの困難に注目する。JR福知山線脱線事故の遺族ケア、震災後の移動傾聴喫茶、看取りの医療、「遺された親の会」……現場の声に耳を傾けながら、死生学、スピリチュアリティなどの近接領域でも活躍する宗教学者が、第二次大戦から現代までの宗教、物語、詩歌などの文化的装置を歴史的文脈でとらえなおす労作。『日本人の死生観を読む』(朝日選書885)の続編。
◯目次より(抜粋)
序章
戦争と災害の後に 喪失と悲嘆の記憶が力となる 悲嘆が分かち合われる場・関係
第1章 悲嘆が身近になる時代
JR福知山線脱線事故 スピリチュアルケアの知識と経験 『悼む人』の悼む作法 水子供養の背後の悲嘆 無念の死・見捨てられる死 公認されない悲嘆 悲嘆を分かち合う場と関係を求めて
第2章 グリーフケアと宗教の役割
災害支援と仏教僧侶の活動 悲嘆に寄り添う仏教の実践 移動傾聴喫茶カフェ・デ・モンク 震災で見えてきた伝統仏教の力 岡部健医師の歩み 「お迎え」による安らぎ 死をめぐる宗教文化の再認識
第3章 グリーフケアが知られるようになるまで
フロイトと「喪の仕事」 心にとっては「いる」が、現実には「いない」 子どもの愛着と喪失 母親を失った子どもの心理 あいまいな喪失 なぜ、喪失がつらく、長引くのか
第4章 グリーフケアが身近に感じられるわけ
悲しみを分かち合う文化の後退 悲嘆の文化の力とその回復 喪の段階と喪の課題 意味の再構築という枠組み 「遺された親の会」 死生学とホスピス運動(死の臨床) グリーフケアと文化
第5章 悲嘆を物語る文学
文学者としての内村鑑三 『基督信徒のなぐさめ』と悲嘆の文学 『後世への最大遺物』のスピリチュアリティ 特定宗教の枠を超えて 悲嘆文学としての先駆性
第6章 悲しみを分かち合う「うた」
復活した(?)「故郷」 故郷から遠くへ去った子ども ロンドンデリーの歌 アリランの歌詞 吉本隆明「大衆のナショナリズム」 「大衆のナショナリズム」の底上げ? 悲しみを分かち合うことの困難
第7章 戦争による悲嘆を分かち合う困難
八月一五日の悲嘆の分かち合い 軍人・兵士の死をめぐる不協和音 戦没学生の遺した文書――『はるかなる山河に』 『きけわだつみのこえ』の刊行 『新版 きけわだつみのこえ』での復元 反戦、殉国、戦争責任・・・・・・ 悲嘆の共同性と共生という課題
第8章 悲嘆を分かち合う形の変容
死者・先祖への信仰とお盆行事 死霊・祖霊信仰こそ日本の固有信仰 『先祖の話』で問おうとしたこと 仏教寺院と悲嘆をともにする文化 「寺院消滅」の時代 悲嘆をともにする活動としてのグリーフケア