書籍
卜部亮吾侍従日記 第2巻
昭和天皇最後の側近 昭和60年~61年
御厨 貴 監修 / 岩井 克己 監修 / 卜部 亮吾 著
ISBN:9784022502827
定価:6820円(税込)
発売日:2007年7月6日
四六判上製  488ページ 
品切れ・再販未定

3代の侍従長に仕え昭和天皇・香淳皇后を看取った侍従、故・卜部亮吾氏の32年間の日記(昭和45年~平成14年)を全5巻で刊行。政府と宮内庁、天皇・皇族のあいだで調整に当たり、扇の「かなめ」的存在であった氏の記録からは宮内庁の「オモテ」「オク」の関係も見えてくる。昭和史の空白を埋める第一級資料。第3回配本の第2巻は歴代天皇最長寿、入江侍従長急死、在位60年をトピックスに昭和60~61年を全日収録。

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→卜部亮吾侍従日記 第1巻

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昭和天皇 大喪の礼



昭和59年、国会開会式から帰途につく昭和天皇。後列左から富田朝彦宮内庁長官、卜部亮吾侍従、入江相政侍従長。
 

 昭和天皇の還暦を過ぎてからの日々を、これだけ淡々としかし克明につけた日記を、他に知らない。長寿社会日本を象徴するかのように、昭和天皇も長寿であった。とはいえ心身双方にしのびよる老いに、いかに対処するか。天皇周辺はソフトな対応へと導くことを心がけるが、病を得てなお天皇自身はハードな公務に耐えようとする。
 昭和天皇と宮内庁との緊張関係を、卜部亮吾のまなざしははっきりと捉えている。三十余年にわたる日記をつける行為は、卜部にとって自らの侍従職という職務の一環であったに違いない。照る日も曇る日も、その日の出来ごとを一定の枠の中に整理することが、いつ果てるともない宮内庁内外の問題への効果的な処方箋となったのであろう。
 簡潔にして要を得た記述という印象を卜部の日記からうける。昭和天皇側近の日記をいくつか読んだ経験から、卜部はコトに際して動ぜず、冷静にして沈着な性格であったように思う。そうでなければ三代の侍従長に、あたかもサラリーマンの如くにきちんと仕えることはできなかったであろう。
(東京大学先端科学技術研究センター教授)

昭和58年、那須御用邸の嚶鳴亭近くで植物を観察する昭和天皇。左は卜部亮吾侍従、中央は安楽定信侍従。



昭和62年、大島での噴火被災者への見舞いを終えて船に乗る昭和天皇と卜部亮吾侍従。

昭和48年1月の日記

 

 卜部亮吾は昭和44年に人事院から侍従に転じ、昭和天皇に約20年間仕えた。
  晩年の昭和天皇を支えた侍従には人事院出身者が多かった。なかでも卜部は適材だったようで、入江相政、徳川義寛、山本悟の3代の侍従長の下で側近事務の仕切り役に成長した。
  侍従職事務主管として昭和天皇を看取り、大喪や即位の礼など天皇代替わりに伴う激務を担い、残された香淳皇后を退官後もお世話し、平成12年7月の葬儀では祭官長を務めた。自らも食道癌と肝臓への転移を抱えながら、抗癌剤を断って一周年祭に臨む卜部の姿には鬼気迫るものがあった。そして使命を終えると平成14年3月11日、後を追うように78歳で亡くなった。
  昭和45年から亡くなる直前までの32年間にわたり1日も欠かさず記された日記を全5巻で刊行する。卜部は政府機関と宮内庁、宮内庁のオモテとオク、天皇と皇族・親族との間で調整にあたり、報道対応の窓口役も務めるという、さながら扇のかなめのような存在だった。その克明な記録からは、「昭和の終焉」という巨大なドラマの「菊のカーテン」の内側で、宮内庁という組織がどのように動いたかが手に取るように見えてくる。また天皇・皇族の素顔や側近らの行動が、そして阿修羅のように天皇を支え、心を込めて看取った卜部の人間像が浮かんでくる。
(朝日新聞編集委員)
昭和天皇年譜

組見本

 

各巻 四六判上製クロス装・貼函入・口絵1丁、平均500頁
定価 各6510円(税込)

全巻内容

第1巻 昭和45年~59年 岩井克己解説 宮内庁組織図 皇居地図 用語解説索引
第2巻 昭和60年~61年
第3巻 昭和62年~63年
第4巻 昭和64年~平成2年
第5巻 平成3年~14年 御病状日記 御厨貴解説

大正13年北海道小樽市に生まれる。
昭和24年京都大学卒業。人事院事務官に。
昭和44年宮内庁に移り、侍従に。
昭和56年侍従職事務主管に。
平成3年侍従を退職。侍従職御用掛、皇太后宮職御用掛に。
平成5年侍従職御用掛を退職、(財)菊葉文化協会常務理事に。
平成12年香淳皇后の大喪の儀祭官長を務める。
平成14年死去。78歳。