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1700円(本体価格)/1870円(税込価格)
どうしてあんなに、自信満々なのか――。「迷惑」を忌避する社会で際立とうとして、「いきり」が幅を利かせ、暴走する。「わからないのはバカ」「別に迷惑かかってないし」「政治家になってから言えよ!」「切り取りだろ!」……。「従順」か「居丈高」か。世の中に蔓延(はびこ)る、この二択から逃れ、ちゃんと深く息を吸うために、疲弊した社会の問題点を掴まえる。社会、“私”という個人、日本人論のトライアングルの中に「いきり」を浮かび上がらせることを試みた一冊。 【目次】 1 そういうことになってるから 2 オマエに権利があるのか? 3 批判なんてしません 4 やかましい街で 5 幸せの設定 6 落ち着いてください 7 不機嫌 8 善意 9 視覚化から資格化へ 10 不安なくせに 11 上から目線 12 気のせい 13 確信歩き 14 切り取りだ 15 すべてを見る 16 逆ギレw 17 ヤニる! 18 承認 19 届ける 20 NEW&SPEED 21 言語化 22 物を言う 23 自分で考える 【著者略歴】たけだ・さてつ 1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞、19年に新潮社で文庫化)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋、2017年、21年に文庫化)、『わかりやすさの罪』(小社、2020年、24年に文庫化)、『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋、2021年)、『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年、24年に文庫化)、『べつに怒ってない』(筑摩書房、2022年)、『今日拾った言葉たち』(暮しの手帖社、2022年)、『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社、2023年)、『なんかいやな感じ』(講談社、2023年)、『テレビ磁石』(光文社、2024年)など多数。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍している。
860円(本体価格)/946円(税込価格)
“わかりやすさ”の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。「すぐにわかる! 」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち」?との問いに「どっちでもねーよ! 」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはず。納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。 【目次】 はじめに 1 「どっちですか」?の危うさ 2 「言葉にできない」 3 要約という行為 4 「2+3=○」「○+○=5」 5 勝手に理解しないで 6 理解が混雑する 7 「一気にわかる! 」必要性 8 人心を1分で話すな 9 なぜそこで笑ったのか 10 なぜ笑うのか、なぜ笑えないのか 11 全てを人に届ける 12 説明不足 13 「コード」にすがる 14 ノイズを増やす 15 4回泣けます 16 コーヒーを吹くかもしれない 17 深いって何だろう 18 見せかけの優位 19 偶然は自分のもの 20 わざと雑にする 21 そんなこと言ってないのに 22 自分に迷わない人たち 23 みんなで考えすぎ 24 人はいつもぐちゃぐちゃ
1600円(本体価格)/1760円(税込価格)
“わかりやすさ”の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。「すぐにわかる!」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち?」との問いに「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはず。納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。
840円(本体価格)/924円(税込価格)
ナンシー関に“賞味期限”はない 特定の時代のテレビが作り出す空気について書いているのに、 それが半永久的な説得力を持つという摩訶不思議。 2002年、39歳で急逝した消しゴム版画家・ナンシー関。 その言葉は今なお、テレビの中に漂う違和感に答え続けてくれる。 彼女の大ファンで、日常の違和感を小気味よい筆致であぶり出す武田砂鉄氏が 『週刊朝日』の伝説的コラム「小耳にはさもう」から選び抜いた ベスト・オブ・ベスト! 連載462回分のハンコも壮観です。 ---------  ナンシー関のコラムって、ノスタルジーにはなりえない。多くの登場人物が今の芸能界でもそれなりの位置を保持しているから、という理由だけではない。今、どんな事案であろうとも、芸能スキャンダルは瞬く間に消費され、片っ端から忘れ去られていく。ひとつの芸能ネタをじっくり吟味するよりも、思いっきり叩いて消費するか、事務所などに忖度して最低限の報道で済ますか、そのいずれかだ。週刊誌が出る頃には、その議題がすっかり古びている、なんて場合も少なくない。ナンシー関は、読者に対して、「それでいいのか。後悔はしないのか」と考える時間を与えた上で、当人だけではなく、無意識に整ってしまう世間の見解を、もう一度疑った。その手つきは、テレビの中の存在からすれば緊張感を与えるものだっただろう。見張られている感覚は、番組の質感や、芸能人の振る舞いに直結していたと思う。 (武田砂鉄 解説「私たちの大切な公文書」より) ---------