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1700円(本体価格)/1870円(税込価格)
〇「あなた自身の死生観」のために最適の書。 「魂のふるさと」「無常」「孤独」「悲嘆」「慰霊・追悼・鎮魂」「桜」「うき世」を鍵言葉として 大伴旅人、山上憶良、菅原道真、紀貫之、西行、芭蕉、一茶、折口信夫、金子みすゞ、漱石、金子兜太……の作品を読みこむ。 〇宗教学、死生学の第一人者で、グリーフケア研究を担ってきた著者にとっても、加齢とともに死、喪失、別れは、切実さがます。 本書は宗教の教える死生観、詩歌や物語を手がかりに、現代から古代へ、古代から現代へと往還しながら、今を生きる私たちが自分なりに腑に落ちる死生観を問い直すための見取り図だ。 歌人にして宗教民俗学者の折口信夫は「魂のふるさと」に注目して、古代人の死生観をさぐり小説『死者の書』へ、同時期に詩人の金子みすゞは喪失と祈り、死の彼方を童謡歌詞でうたった。「無常」を知る系譜は、子どもの死に親の哀切な心のあふれる一茶の『おらが春』、桜を通してはかない命を歌った西行、死の瀬戸際を経験して安らぎを見いだした漱石の漢詩へとたどる。「あなた自身の死生観」の手助けになる最良の一作。 〇目次から 序章 自分自身の死生観を探る――東日本大震災後に目立つ死生観探究 第1章 魂のふるさとと原初の孤独 死者が近くにいるという感覚/折口信夫のマレビト/魂のふるさとへの憧憬 第2章 無常を嘆き、受け入れる 無常――野口雨情の童謡と一茶の「おらが春」 /無常を描き出す宗教文書と文芸/無常観――芭蕉と李白 第3章 悲嘆の文学の系譜 王朝文芸の「はかなし」と死生観/母の悲嘆と作者の憤り、そして笑い 第4章 無常から浮き世へ 桜に託された孤独、苦悩と信仰の間/現代人のうき世観と魂のふるさと 終章 夏目漱石、死生観を問う――死生観が問われる時代……「目次」から
1400円(本体価格)/1540円(税込価格)
●災害・事故・別離等、「ひとり」に耐えて生き抜く力の源とは。 宗教学の泰斗が現場と対話を重ねながら、宗教、物語、悲嘆と望郷の「うた」を歴史的文脈で捉えなおす。グリーフケアの待望の基本図書。 フロイト「喪の仕事」、内村鑑三の悲嘆文学、柳田國男の『先祖の話』、こうの史代『この世界の片隅に』・・・・・・。 喪失による悲嘆は、人生の意味が問われる大きな経験だ。私にとってもそうだった。アカデミックな場以上に、悲嘆を抱える方々、また悲しむ者に寄り添おうとする方々とともに学び、考えてきたことが大きい。(著者「あとがき」) ●超高齢社会で大切な人を喪失する悲嘆は身近である。災害や事故による非業の死に向き合ってきた日本人。現代の孤独な個々人は、どのように生きる力をよびさますグリーフワークを行えばよいのか。フロイト、ボウルビィ、エリクソンの医療や心理学での喪失の理論をたどり、近代日本の内村鑑三の『基督信徒のなぐさめ』に悲嘆文学の先駆性、柳田國男の『先祖の話』での家と霊魂、戦争による悲嘆の分かち合いの困難に注目する。JR福知山線脱線事故の遺族ケア、震災後の移動傾聴喫茶、看取りの医療、「遺された親の会」……現場の声に耳を傾けながら、死生学、スピリチュアリティなどの近接領域でも活躍する宗教学者が、第二次大戦から現代までの宗教、物語、詩歌などの文化的装置を歴史的文脈でとらえなおす労作。『日本人の死生観を読む』(朝日選書885)の続編。 ◯目次より(抜粋) 序章 戦争と災害の後に  喪失と悲嘆の記憶が力となる  悲嘆が分かち合われる場・関係 第1章 悲嘆が身近になる時代 JR福知山線脱線事故  スピリチュアルケアの知識と経験  『悼む人』の悼む作法  水子供養の背後の悲嘆  無念の死・見捨てられる死  公認されない悲嘆  悲嘆を分かち合う場と関係を求めて 第2章 グリーフケアと宗教の役割 災害支援と仏教僧侶の活動  悲嘆に寄り添う仏教の実践  移動傾聴喫茶カフェ・デ・モンク  震災で見えてきた伝統仏教の力  岡部健医師の歩み  「お迎え」による安らぎ  死をめぐる宗教文化の再認識   第3章 グリーフケアが知られるようになるまで フロイトと「喪の仕事」  心にとっては「いる」が、現実には「いない」  子どもの愛着と喪失  母親を失った子どもの心理  あいまいな喪失  なぜ、喪失がつらく、長引くのか 第4章 グリーフケアが身近に感じられるわけ 悲しみを分かち合う文化の後退  悲嘆の文化の力とその回復  喪の段階と喪の課題  意味の再構築という枠組み  「遺された親の会」  死生学とホスピス運動(死の臨床)  グリーフケアと文化 第5章 悲嘆を物語る文学 文学者としての内村鑑三  『基督信徒のなぐさめ』と悲嘆の文学  『後世への最大遺物』のスピリチュアリティ  特定宗教の枠を超えて  悲嘆文学としての先駆性 第6章 悲しみを分かち合う「うた」 復活した(?)「故郷」  故郷から遠くへ去った子ども  ロンドンデリーの歌  アリランの歌詞  吉本隆明「大衆のナショナリズム」  「大衆のナショナリズム」の底上げ?  悲しみを分かち合うことの困難 第7章 戦争による悲嘆を分かち合う困難 八月一五日の悲嘆の分かち合い  軍人・兵士の死をめぐる不協和音  戦没学生の遺した文書――『はるかなる山河に』  『きけわだつみのこえ』の刊行  『新版 きけわだつみのこえ』での復元  反戦、殉国、戦争責任・・・・・・  悲嘆の共同性と共生という課題 第8章 悲嘆を分かち合う形の変容 死者・先祖への信仰とお盆行事  死霊・祖霊信仰こそ日本の固有信仰  『先祖の話』で問おうとしたこと  仏教寺院と悲嘆をともにする文化  「寺院消滅」の時代  悲嘆をともにする活動としてのグリーフケア
1400円(本体価格)/1540円(税込価格)
幅広く活躍する宗教学者が、日本人の死生観を読み解く。映画「おくりびと」は多くの現代人に死と向き合う関心をよびさましたが、そもそも私たちは死をどう捉えてきたのか。明治の武士道、宮沢賢治の童話、柳田国男や折口信夫の民俗学、吉田満の『戦艦大和ノ最期』、高見順の詩などを読み解き、大きな展望のもとで捉え返しながら、3・11以降を生きる私たちに、死と生への新たな向き合い方を提示する。