山伏や願人坊主など、信仰の古層を一枚ずつ剥いでいく「洛北諸道」。
「郡上・白川街道と越中街道」では、岐阜から合掌造りで知られる白川郷を抜け、富山へと至る。
源義経や明智光秀が馬を進めた途をたどる「丹波篠山街道」。
戦国の世にひときわの光芒を放った自由都市をしのぶ「堺・紀州街道」。
小さいながらも趣ある五つの旅は、折からの列島改造ブームが、歴史の堆積深い風土を壊していくことへの危惧を著者に抱かせるものであった。
【内容の訂正とお詫び】
2008年8月7日に発売した朝日文庫『街道をゆく 4〈新装版〉 郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか』(単行本版は1974年1月刊行)に誤りがありました。「丹波篠山街道」〈丹波亀岡の城〉の項153~155・156・157頁に登場する、平沼騏一郎氏の検事総長の在任期に関する記述に誤認がありました。
本文中では、戦前の大本教団弾圧(大正10年〈1921〉と昭和10年〈1935〉の2回)について、当時の検事総長・平沼氏がいずれも指揮を執っていたと記述されていますが、平沼氏が検事総長だったのは大正10年時で、昭和10年時には枢密院副議長でした。著作権継承者となる司馬遼太郎財団と協議のうえ、第5刷から当該箇所を削除しました。おわびして訂正いたします。